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じゅんいちダビットソンは“本田圭佑”に出会うまで何をしていた?「夜の私生活はロスタイムなしです」

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じゅんいちダビットソンは“本田圭佑”に出会うまで何をしていた?「夜の私生活はロスタイムなしです」

じゅんいちダビットソンは“本田圭佑”に出会うまで何をしていた?「夜の私生活はロスタイムなしです」

 

サツカー日本代表の本田圭佑キャラで「R-1ぐらんぷり2015」の優勝者となったじゅんいちダビッドソン。

芸歴18年、40歳である彼は「本田圭佑」に出会うまで何をしていたのか? 早速、直解した!

―「R-1ぐらんぷり2015」優勝おめでとうございます!

じゅんいちダビッドソン(以下、じゅ) そうですねえ。確かにいい感じで優勝できたとは思うんですけれども、優勝って、してしまったらただの結果ですから。優勝した瞬間から、次の試合に向けて準備をするってことが大事になってくると思いますし、そういうふうにしていきたいです。

―優勝したことで、だいぶ環境が変わったと思いますが。

じゅ 環境って変わるものではなく、自分で変えていくものなんですね。だから、これからも厳しい環境に自分からどんどん飛び込んでいこうと思ってますけどね。

―実は、現在40歳。芸歴18年の大ベテランなんですよね。

じゅ いや、ベテランっていうほどでもないです。まだ上にはヤットさんがいますから。

―ヤットさん?

じゅ 遠藤保仁選手ですね。代表の中では、一番のベテランですから。

―同期って誰なんですか?

じゅ 同期は岡ちゃんですね。岡崎慎司選手です。

―本当は!

じゅ ……ねづっちとか、バイきんぐです。

―なんで、お笑い芸人になろうと思ったんですか?

じゅ きっかけは子供の頃に見たマラドーナの映像ですね。マラドーナがプレーしている姿を見て、自分もああいう個の強い人間になりたいと思って、この世界に入りました。

―…じゃあ、デビューのきっかけは?

じゅ 大学を卒業して所属先がなかったので、イタリアでいえばセリエD(アマチュアの最上位リーグ)の練習試合にムリヤリ参加していましたね。その頃の試合会場はサッカーグラウンドではなく、70人も入ればパンパンになる「新宿Fu」というホールでした。1997年のことです。

―最初からひとりで?

じゅ はい。最初はひとりで突破しようと思ったんですけど、突破するにはスピードが足りなかった。だから、2ヵ月くらい経った頃から、ふたりのコンビネーションを使って崩していくスタイルに変えました。その時の所属先が「アルパチ」(コンビ名)です。 そして、2000年になって、パスを交換する相方が代わって「ミスマッチグルメ」(コンビ名)に移りました。

―その頃は、まだセリエDだったんですか?

じゅ そうですね。ミスマッチグルメには2011年まで約10年ほどいたんですが、後半の5年くらいはセリエC(セミプロ)レベルまでいけました。ただ、セリエCでも客席数100人くらいのスタジアムで15人くらいしか入らないことが多かったですし、サッカーでは何か問題があった場合に無観客試合になるんですが、僕らは何も問題を起こしていないのに無観客試合が続いていました。でも、それはまだ伸びしろがあるということですから。

―ミスマッチグルメはなぜやめたんですか?

じゅ 相方がかなり運動量を求められるポジションだったので、年齢的なこともあって「家族のために引退する」と。まあ、その頃には僕も少しずつスピードがついてきて、何よりもひとりで戦えるフィジカルができてきたので、それなら個でいこうと。今の形になりました。

ミスマッチグルメに所属していた頃は結構、プレー中も寒かったんで、僕の中ではロシアのCSKAモスクワ時代やと思ってますね。

―ひとりになってからは、どんなプレースタイルになったんですか?

じゅ ミスマッチグルメ時代とやっていることは変わりませんが、世界レベルで通用するプレーを意識していましたね。特にアメリカンなプレーを心がけてました。

―アメリカンなプレー?

じゅ 「いきなりだけど、俺の好きなティってなんだと思う? パーティ!」「いきなりだけど、俺の出身中学ってどこ中だと思う? アイ・ウォン・チュー!」「いきなりだけど、俺の星座ってなんだと思う? バドワイザー!」

―……世界レベルって、英語を取り入れるっていうことなんですか。

じゅ このアメリカンなプレーに関しては、今でも根強いファンがいるんです。でも、世界に通用するかというと、まだそのレベルじゃなかった。

―でしょうね。この頃はセリエで言うと?

じゅ セリエBですね。なんとかプロでやっているというリーグでした。

―それが、いつプレーをイタリアンスタイルに変えたんですか? いつ本田圭佑と出会ったんですか?

じゅ きっかけは、2013年頃に僕のフィジカルコーチ(芸人仲間)から言われた「似てるから、やれば」っていうアドバイスです。僕、サッカーが好きで、代表の試合とか本田選手の出る番組とか、ずっと見てたんですよ。だから、「やれば」って言われたときに特に研究もせずスッと入れました。

スタイルも特に変えていませんしね。「堂々と当たり前のことを言う」というのが、僕の武器やと思っているので。

―基礎がしっかりしているわけですね。

じゅ そうですね。僕の場合、ネタ作りは、まず徹底的に下半身を鍛えてから始めるんです。その後にペンを持ちます。

―……。例えば、本田選手が言いそうな言葉でいろいろ説明していますが、どんな感じで考えてるんですか?

じゅ 例えばですね、「卵」というキーワードがあったら、「卵って、なんで人に割ってもらっとんねんって思うんです。俺が卵やったら、生の状態で中から殻を割りますね」みたいにポジティブな感じに話すんです。

―なるほど! そういえば、じゅんいちダビッドソンさんは、今年の『週刊プレイボーイ』の新年会でも芸を披露してくださってたんですよね。

じゅ はい。あの日はアジア杯で本田選手がPKを外した試合の夜でしたよね。それで急遽(きゅうきょ)、謝罪会見になって「外してすみません」って言っただけでウケましたから、すごくおいしかったです。

―ちなみに最近、ご結婚されたそうですが、夜のPKのほうは外してませんか?

じゅ そうですね。夜はロスタイムもなく、90分でしっかり終わらせてます。それに引き分けではダメなんですよ。そこは時間内で決めなければ…って、何を言わせてるんですか!

―ありがとうございました!

(取材・文/村上隆保 撮影/本田雄士)

●じゅんいちダビッドソン
1975年生まれ、兵庫県出身。サツカー日本代表の本田圭佑キャラで、「R-1ぐらんぷり2015」優勝。得意ネタは無回転なぞかけ、など

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