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つんく♂にも読んでほしい…喉頭がんで声を失った教師が食道発声法で教壇に復帰するまでの全記録

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つんく♂にも読んでほしい…喉頭がんで声を失った教師が食道発声法で教壇に復帰するまでの全記録

つんく♂にも読んでほしい…喉頭がんで声を失った教師が食道発声法で教壇に復帰するまでの全記録

 

 つんく♂の突然の告白は、あまりにも衝撃的だった。昨年10月、「喉頭がん」が悪化し声帯を全摘出したと、自らがプロデュースを務めた母校近畿大学の入学式で明かした。幾多ものミリオンヒットを生んだ、日本を代表するシンガーにとって残酷すぎる現実だった。

 壇上に立つつんく♂の目は、心なしか潤んでいた。それはファンも同じだっただろう。

 しかしこれからは、曲作りをはじめ、リハビリにも積極的に取り組むとニュースは伝えている。なかでもこの数日盛んに取り上げられたのが「食道発声法」なる「声」を取り戻すトレーニング方法。切除した声帯の代わりに飲み込んだ空気を「ゲップ」をする要領で吐き出すことで食道を振動させて発声する、というもの。早い人では数カ月や半年で言葉を発することができるといい、実際つんく♂の関係スタッフのなかにも、普通に電話で会話ができるまでに上達した人もいるという。

 そんなつんく♂の「いま」と「これから」を示唆する本がある。

〈家族がみんな出勤したので、次郎(飼い犬)に餌をやった。(中略)「お手」「お手」と手を出しても首を傾げ、じっと見ていた。(中略)諦めて「よし」といったが食べなかった。(中略)「お手」も「よし」も犬には聞こえないのであった。〉

 これは2001年に出版された『新しいことばの命を得て 私の喉頭がん日記』(池上登/静岡新聞社)の一節。静岡県在住の池上氏は昭和62年ごろから喉に変調をきたし、検査入院の結果喉頭がんと宣告される。慶應大学・近藤誠医師らによる放射線治療で一時はがんが消滅するものの、再発。平成元年に喉頭全摘出手術を受けて「声」を失う。54歳のときだ。当時、県内で障害児教育の第一人者として活躍していた池上氏は、突然自分自身が障害を背負うという運命に翻弄される。この作品ではがんとの闘いや、医療スタッフや家族の献身的なサポート、食道発声法によって声を取り戻すまでの日々が綴られている。

 池上氏の病状は、当初は注射と放射線で8~9割の確率で完治するはずだった。つんく♂も完全寛解したはずだったことを考えると、この病気の難しさを思い知らされる。池上氏は、再発の可能性を告げられたときの心境を、こう綴っている。

〈愕然、恐怖、失望、悲しみ、落胆など、どんなことばも当てはまらない辛い気持ちだった。何くわぬ顔で陽気に飲み、食い、歌って帰ったときの空しさは今でも忘れることができない。〉

 そしてついに喉頭の切除を告げられる。

〈「手術をしなければ、どれくらいもつのですか」(命のこと)「この細胞は勢いのある質の悪いものなので、2、3年で全身に回ってしまう」〉
〈この話を妻に伝えた。妻は泣いた。辛く、悲しい告知である。〉

 手術前に教会で讃美歌「いつくしみ深き」を歌ったときの心境は、こう明かしている。

〈自分の声で歌う最後の讃美歌になると思うと、やたらに涙が流れて困った。〉

 それでも池上氏は前向きだった。食道発声法により声を取り戻した人の経験談やメソッドを聞くうちに、

〈自分でもできそうな気がして、早く手術をしてもらって、挑戦したい、と思った。〉

 その訓練の難しさや煩わしさで挑戦を断念してしまう患者も多いなか、術後22日目から特訓を開始する。

 最初は空気を手で押し込んで「ア」の発音を試みたが、全く出なかった。それが26日目には「ア、イ、ウ、エ」らしき声が出るようになる。やがてお茶を飲みこんで「アー」と試みると「ゲーッ」となるまでになり、指導者を喜ばせた。他にも、水槽に挿したゴムホースをくわえて吹き、一息でどれだけの空気が出るか測ったり、ハーモニカを吹いて吐き出す力をつける、という訓練もした。ついには、音は続かないものの「荒城の月」に聞こえなくもない旋律も吹けるようになる。

 退院して4日目、息子からの電話を取ると思いがけず「もしもし」に近い声が出て〈あっ、お父さん、すごいじゃん〉と驚かせた。地道に練習を続け、数か月後にはほとんど意思の疎通が可能になり、退院後わずか3ヵ月で職場復帰したのである。

 登場人物の言葉は、そのままつんく♂に捧げられるかのようだ。担当医が、〈朝の来ない夜はない、と言うからね。痛みも苦しみも必ず軽くなるからがんばってね。桜も咲き始めたしね〉と言えば、カトリック教徒の看護師は、〈私たちは栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりではなく、苦難も誇りとします。私たちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むことを、希望は私たちを欺くことはできません〉と諭すのだ。

 娘と息子は〈生きていれば、喋れなくても、我々の親でいてくれれば十分〉と言った。

 養護施設のスタッフはこう激励する。

〈私たちにとって、大切な人を奪うなんて、許されるはずがない。絶対よくなって、もう一度私たちに夢と希望を与えてください。(中略)"子供たちが胸を張って生きるためには負けちゃいけない"と。今度は先生の番です。負けてたまるかです。〉

 いまワイドショーでは専門家が「話せるようにはなるが、歌うのは無理でしょう」と声をそろえる。だが、奇跡が起こらないと決まったわけじゃない。大阪の路上で燻っていたローカルバンドをトップに押し上げ、番組の企画に過ぎなかったガールズグループを国民的なアイドルに育て上げた男が、これから何を実現するかなんて誰にもわからないのだ。

 そして何より同じ病を患う多くの人たちもその日を待っているだろう。
(相模弘希)

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