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内藤九段が引退会見「私の将棋は演歌みたいなもんだったのかな」

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内藤九段が引退会見「私の将棋は演歌みたいなもんだったのかな」

内藤九段が引退会見「私の将棋は演歌みたいなもんだったのかな」

 

 将棋のトップ棋士として活躍し、3月末をもって現役を引退する内藤國雄九段(75)が20日、大阪市の関西将棋会館で引退会見を行った。

 内藤九段は、「(引退して)寂しいでしょう、と言っていただくんですが、そういうことはまったくない。堪能いたしました。2000局以上指してますからね」と晴れやかな笑顔。「もう、戦いたいという気持ちはないですね…」と、今月12日、史上3人目の通算1000敗を記録して終えたプロ棋士生活を振り返った。

 内藤九段は将棋以外でも、歌手やタレントとしても活動。1976年に発売した「おゆき」は、160万枚の大ヒット作となった。それだけに、自身の将棋と近年の将棋を比較し「NHKの紅白歌合戦の内容が変わってきたようなもの」と説明。「紅白歌合戦に、演歌が出なくなってきた。演歌をやる場合は、横でAKBだかが踊って盛り上げる。演歌の独り立ちが難しい時代になってきたような気がするんです。考えてみると、私の将棋は演歌みたいなもんだったのかなと…。言葉ではうまく表せないんですけど」と話した。

 同じ関西の“重鎮”として活躍し、19日に肺炎のため死去した落語家の桂米朝さんとは、約40年ほど前に将棋雑誌の企画で対談した縁で、交流があったという。「将棋を指したこともあります。飛車落ちで指したんですが、相当お強かった。それまで履いたことのなかった300万円もする袴を、その対局のために履いてこられました」と思い出を述懐。「反省があるとすれば、負かしてしまったことかな…。当時は、プロは強さを見せつけることが仕事だと思ってましたから」と“後悔”も口にした。

 内藤九段は1958年10月、18歳でプロデビュー。1969年に第15期棋聖戦で中原誠棋聖を破り初タイトルを獲得した。2009年には史上5人目の通算1000勝を達成。今月12日、竜王戦第6組昇級者決定戦で中田功七段に敗れ、プロ棋士としての全対局を終えた。通算成績は1132勝1000敗。タイトル獲得は3期。

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