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川崎中1殺害事件、「女性自身」と「週刊女性」にみる報じる“視点の差”

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川崎中1殺害事件、「女性自身」と「週刊女性」にみる報じる“視点の差”

川崎中1殺害事件、「女性自身」と「週刊女性」にみる報じる“視点の差”

 

下世話、醜聞、スキャンダル――。長く女性の“欲望”に応えてきた女性週刊誌を、伝説のスキャンダル雑誌「噂の真相」の元デスク神林広恵が、ぶった斬る!

隠蔽体質の学校と過剰報道に走るマスコミ……大津いじめ問題を取り巻く毒

 安倍政権で“政治とカネ”のスキャンダルドミノが続いている。安倍首相本人にも補助金企業からの献金が。国会ではその追求が激しく行われているが、しかし一方でテレビの情報番組ではこの問題をきちんと取り上げようとしない。第1次安倍内閣の時の辞任ドミノの際にはもう少しまともだったのに。言論統制、自主規制がさらにさらに、進んでいる。

第257回(2/27~3/3発売号より)
1位「なぜ“カミソンくん”を誰も救えなかったのか」(「週刊女性」3月17日号)
参照「川崎・中1殺害事件の非道! 『死の3日後、遼太くんと対面した母“絶句の現場” 加害者少年フィリピン人母記者へ罵倒」(「女性自身」3月17日号)
2位「坂東三津五郎さん “怨念の元妻”2人には秘した最後の恋人との『悲愛2年』!」(「女性自身」3月17日号)
3位「新連載 『スタアの時代』桜沢エリカ」(「女性自身」3月17日号)

 川崎中1の上村遼太殺害事件が波紋を広げている。わずか12歳の少年が全裸の惨殺死体となって発見され、容疑者として不良グループのメンバーたちが逮捕された。今週の「自身」「週女」双方がこの事件を大きく報じているが、その視点の差はなかなか興味深い。

「週女」では被害者少年をなぜ救えなかったのか、その視点から事件の背景を検証している。同級生の女子は少年が不良グループから抜けられないと聞いていたが、「自分が動いて、もしグループになんかされたら怖い」と、その胸の内を語っている。これは中1女子にとっては当然の反応だろう。年上の男子生徒も心配していたが、少年が大丈夫というのでそのままにしたことを後悔していると語っている。また周辺の住人たちも“関わらないようにして放置”している。その上で、こう記す。

「中高生が集団でいると、大の大人であっても、へたに注意はしにくい。親でさえ叱らなかったり、夜遅くの外出を許してしまったりする」

 本当にそう思う。もし自分だったとしても、普通は怖くて注意できない。近寄ることもできないだろう。できることといえば警察に相談するくらいだ。さらに「週女」記者は地元中高生がたむろし、今回の事件の少年たちもいたという大師公園に記者が直接足を運び、その現状をレポートしている。しかもそこから浮かび上がってくるものは、現在の少年たちの生態、今回の事件に迫る上で重要だ。

 記者は夜8時頃、この公園を訪れている。そこにはたむろする少年少女たちがいた。中学生もいる。取材中、学校の先生が4~5人で見回りにきたが、きつく叱る教師はいなかったという。その態度に違和感を持ったという記者。さらに地元川崎市教育委員会にも取材すると、こんなことを言われたという。

「顔見知りでもない少年たちが、コンビニでたむろしているだけのシーンで、あなたは声をかけられますか。(略)夜にコンビニの前でたむろして、カップラーメンを食べているだけでは、どうにもできない」

 普通の市民ならそうかもしれないが、しかしこれは教育委員会の指導課、いわば当事者のコメントだ。あまりに人ごとで無責任すぎる。「週女」記事は夜に徘徊少年たちに対する、大人たちの無関心さを浮かび上がらせるものだ。中学生の夜間の外出をこれほどまで容認、放置している家庭や教師、そして教育委員。記事では、周囲の無関心さが上村君を殺した一因だと指摘する。

 加害者を責め立てるだけでなく、その背景の1つに迫る丁寧な記事だが、一方の「自身」はダメダメだった。「父親がトラックの運転手で母親がフィリピン人。妹と母親が違う姉がいる」という家族構成の18歳少年(主犯格の容疑で逮捕)の家に取材に行く「自身」記者。するとベランダから母親が罵声を浴びせてきたらしい。

「あまりに大声で、早口だったこともあり何を言っているのかはわからない」

 さらに父親を取材すべく自宅前で待機する記者。すると弁護士が現れ「マスコミに話さなくてはならないという義務でもあるんですか」と忠告されたという。双方とも取材の現場ではよくあることだ。しかし記事にはこんな言葉が続く。「(父親は)事件発覚直後から、早々と弁護を雇っていたのだ――」。

 まるで弁護士を付けることが“罪”であり“後ろ暗い”とでも言いたげな一文だ。しかもフィリピン人の母親にしても、いかにも日本語がヘタで聞き取れなかったとの悪意さえ読みとれる。一方の被害者の少年についてはこうだ。

「ムードメーカー」「愛される存在」「妹たちの面倒もよくみていた」「(母親は)生活力のあるたくましい女性」「憔悴しきって、息子の遺体を前に絶句」

 記事の内容はほぼこれだけだ。これら個人的事情を書くなら、それに対する論考や少年犯罪に対するそれがあるはずだが、ない。単に加害者を貶め、驚くほど被害者を美化している。それだけだ。そもそも、今回の事件は被害者、加害者ともに共通点も多い。美化される被害者にしても、深夜不良グループの1人に「先輩遊びましょうよ」とLINEで誘ったことが事件の発端だったといわれている。母親は5人の子どもを抱えるシングルマザーで、朝早くから夜遅くまで働いていたというが、それでも中1の少年が深夜に頻繁に外出し、顔面を殴られて大きな痣があっても、それに積極的に対処した形跡はない。

 また報道によると、加害少年は同級生からは逆にイジメを受けていたという。それをもって、ワイドショーなどは「同級生には相手にされず年下の少年とばかりつるんでいた」「自分がされたことを年下の被害者にしていた。卑劣な行為」と批判しているが、しかしこの場合、批判されるのはいじめていた同級生の方だろう。いじめが本当なら、加害者は逆に被害者でもあったということではないのか。例えば、「自身」にしても母親がフィリピン人だと記すなら、それによって加害少年がいじめられ差別されてきた過去はなかったのか。加害少年へのいじめを放置したことが、今回の事件の背景になった可能性を取材し考察すべきなのに、残念ながらそうした視点はまったくない。

 加害者を一方的に批判し断罪することは簡単だ。しかしその背景には貧困、いじめ、育児放棄、そして教育関係者たちの無関心など、現在の日本で静かに、しかし着実に進む負の連鎖が存在する。「週女」にはその視点があり、残念ながら「自身」にはなかった。

 またひとり、歌舞伎界のスターが逝った。坂東三津五郎享年59。追悼特集が続く中「自身」が放ったのが「2年前から交際していた恋人の存在」スクープだ。

 モテ男だった三津五郎の逝去で注目されたのが元妻・寿ひずると前妻・近藤サトだった。1997年に泥沼の不倫・離婚・再婚劇を繰り広げたからそれも当然だが、しかしなんと3年ほど前から新恋人Aさんの存在があった!

 お相手のAさんは年齢40歳くらいの元CA。三津五郎は知人にAさんを紹介していて、彼女も公演でひいき筋に挨拶していたという。公私とものパートナーだったというわけだ。さらに三津五郎に病が発覚してからも、彼を支えた存在だった。

 うん? 死亡の2年前? 闘病を支える? もしかして第二の「殉愛」騒動勃発か? と期待したが、そうはならないようだ。2人は未入籍だったから。さすが、血脈が命の梨園の人だけある。もし入籍していたら、それこそ大事件だ。それは三津五郎本人が一番わかっていた。跡取りの長男もいるし、ほかに2人の子どもがいる。二番目の妻・近藤サトに対しても「跡取りで揉めたくないから子どもを作らない」との意思から、近藤との齟齬が生じて離婚に至った。

 情に流されず毅然としたその対処は、女性にとっては冷徹だが、子どもたちからしたら良き父親の正しい立派な判断ということだろう。自分の死後、骨肉の争いなんて誰でも避けたいだろうしね。しかし、そうなると今度は女性の立場が哀れでもある。最後の病室にも入れず、葬式に出席することも控える。(もし今後、変な遺言書とか出てこなければという条件付きで)彼女の態度こそが“殉愛”なのではないだろうか。最後はキレイに世を去る。さすが本当のモテ男・三津五郎であった。

 「自身」で面白い連載が今週からスタートした。それが「スタアの時代」という漫画だ。作者は人気漫画家の桜沢エリカだが、その舞台はずばり「自身」編集部なのだ。

 ストーリーは内定をもらえず女性週刊誌「女性時代」(考文館)の見習い記者となった季美子の奮闘記のようだが、朝、張り切って出社すると、入稿翌日でソファーに編集長が寝ていたり、資料が山のようになったこの道50年の超ベテラン女性記者のデスクがあったり――。まさに週刊誌編集部の実情そのままにスタートしたこの連載。「自身」の内幕をどう描かれるのか、どこまで真実に迫れるのか。是非とも期待したい。

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