政治そのほか速
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8.6秒バズーカーの“ラッスンゴレライ”、クマムシの“あったかいんだからぁ”、日本エレキテル連合の“ダメよ~ダメダメ”など、近年、大ブレイクした彼らの共通点としてネット上などで囁かれているのが、いわゆる“一発屋”で終わるのではないか? ということ。この“一発屋”というフレーズ、かつてはネガティブなイメージだったが、今ではずいぶんと前向きなイメージに変わってきているようだ。この“一発屋”という言葉の響きの変化の背景には何があるのだろうか。
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◆“一発”当てただけでも凄いという風潮に変化?
実際、お笑い界において“一発屋”と呼ばれるということは、少なくとも一度は一世を風靡した芸人であるということ。日の目を見ることなく消えていく芸人たちが多いことを考えれば、彼らは十分に勝者であるともいえる。そして同時に彼らは、“一発屋”という“稼げる”肩書きすら得ているのだ。
実際、人気バラエティ『アメトーーク!』(テレビ朝日系)で「一発屋芸人特集」が組まれるなど、有吉弘行の再ブレイク以降、かつての“一発屋”が注目を浴びる機会も増え、一発屋芸人枠としてテレビ番組に呼ばれることも多くなったようだ。人気絶頂時に得た知名度を武器に、地方などの営業で安定した稼ぎを得ている芸人も多いと聞く。“ゲッツ”でおなじみのダンディ坂野は、あるイベントで記者に「再ブレイクの予感?」と聞かれると、「そっとしておいてほしい。細く長くやっていきたいと思うので。ブレイクはしなくても大丈夫です」と答えたという。絶頂期からの転落を知っている芸人ならではの発言ともいえるし、今や一発屋芸人という“ウリ”は捨てがたく、大ブレイクよりも現状をキープしているほうが、安定して稼げるということかもしれない。また、有吉のように、一瞬にして大ブレイク→一瞬にして転落→長期にわたる低迷期→謙虚な気持ちを取り戻し、ひょんなことから再ブレイク、といったようなドラマ性。オリエンタルラジオのように、低迷期を経た上で、本人たちの地道な努力によってキャラを確立する、などの裏側の苦労話的なものまで、“一発屋芸人”にある種の質の高さまで付加されているきらいすらある。
反面、前述の8.6秒バズーカーなどのように、ブレイク以降テレビ番組に出まくっているが、大御所芸人に酷評されたり、“ラッスンゴレライ”を完コピしたリズムネタの先輩・オリエンタルラジオのほうが本家よりキレがあるとか、そもそも全然面白くないなど、ネット上ではかなりのバッシングを受けている場合も少なくないようだ。
◆若手芸人や視聴者の“一発屋”に対する“寛容さ”とある種の“希望”
確かに多くの“常識人”たちが、そのネタのいったいどこが面白いのか理解できないというのもわからないでもない。だが、実力がなければ消えていく厳しい芸能界の中で、自分たちに理解できないからといって、やたら芸人を叩くのも少々大人げないような気がする。今、“ラッスンゴレライ”が一番ウケているのは、保育園児や幼稚園生、小学生などの子供たちなのだ。地方営業でいまだに稼ぎ続ける“なんでだろう?”のテツandトモや、現在もテレビに出続けている“そんなの関係ねぇ”の小島よしおなども、子供たちからの人気は絶大だ。8.6秒バズーカーにしても、100%消えるとは言い切れない。
今の子供や若者たちにとって、現在人気のある芸人たちがかつては“一発屋芸人”だったなどということは、それこそ“関係ない”ことであって、なんだかわからないけれど今が面白く、自分が楽しければそれで十分。現在の大人たちでも子供の頃には、くだらなくて意味不明のお笑いに夢中になっていた時期があるはずだ。
かつてアイドル的な人気を博したお笑いコンビに、グレートチキンパワーズという『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「お笑い甲子園」出身のコンビがいた。ネタを披露しても、観客席からは笑い声ではなく、若い中高生女子の嬌声しか聞こえないような有様だった。彼らの人気絶頂時、「大人には笑ってもらわなくていい。若い人にだけ笑ってもらえるようなネタをやっている」的な趣旨の発言をして、多くの大人の反感をかっていた。結局彼らも、しばらくするとテレビ界から消え、やはり“一発屋”のような形で解散した(現在は、放送作家、俳優としてそれぞれ活躍中)。しかしこの発言も、今となっては現状のお笑い界を予言しているようでもあり、それなりに深いものだったと言えるかもしれない。
“今”の時代を生きる芸人たちにとってみれば、仮にその時代の一部の層であろうと、ウケることができれば大成功を収めたといってもいいのではないだろうか。それがたとえ“一発屋”と呼ばれる一過性のものだったとしても、面白くなければチャンネルを変えればいいだけだし、視聴者側もムキになって批判するのではなく、多少の余裕をもって見守っていればいいような気もする。また最近の若い世代には、当の芸人や視聴者の中にも、それだけの寛容さを持ち合わせている人間が増えてきているのではないだろうか。それは、これまでの社会にあった“食うか食われるか”の競争意識や、現在蔓延している“格差社会”感に対して、若い世代の内面に培われ始めたある種の“希望”ともいえるかもしれない。