政治そのほか速
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駅伝の強豪、広島県立世羅高校の3年間は、親元を離れての寮生活でした。洗濯や掃除は自分でしなければなりませんし、食事の配膳や先輩のマッサージもしなければならない。先輩後輩の関係も厳しかったですね。
入学して1か月が過ぎて、母校の中学校を訪問した時のことは今でも忘れません。中学校卒業までは、あいさつもちゃんとできなかったのが、姿勢良く「はい!」と受け答えしたので、先生たちが「原君、変わったねぇ!」と驚いていました。
規則正しい寮生活は、陸上を続けていく原点になりました。早寝早起き、好き嫌いせず3食しっかり食べる、遊びに出たいのを我慢して休みをとる。言うのは簡単ですが、実行は難しい。強くなりたければ、そういう環境に身を置くことも必要です。
3年生の時には主将として全国高校駅伝で準優勝もできました。もちろん良い思い出なのですが、「楽しく走れていない」との感覚も抱いていました。
高校での寮生活が厳しかったので、大学は、のびのびとした雰囲気と聞いていた中京大(愛知県)に進みました。陸上を続け、高校の体育教員の免許もとりました。
「楽しくない」という理由に気づいたのは、社会人になってから。競技を引退し、営業の仕事に10年間携わりました。私から企業に提案して、約1000万円もする空調機を売る仕事でした。自分で設定した目標を一つずつ達成していく喜びを感じた時、「私の競技経験は、言われるままに走るだけだった」と気づいたのです。
営業マンの手法を取り入れ、青学大陸上部では、選手たちに1か月ごとに練習の目標を、具体的に書かせています。選手が主体的に考えて発した言葉だからこそ、自分から努力することができる。卒業後も、社会で輝くことが出来る、そんな自立した大人を育てていきたいですね。(聞き手・伊藤史彦)
はら・すすむ 1967年、広島県出身。中京大卒業後、中国電力の陸上競技部で活躍。2004年から青山学院大陸上競技部の監督を務め、今年1月の箱根駅伝で同大初の総合優勝に導く。
(2015年3月5日付読売新聞朝刊掲載)