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[写真]楢葉町や富岡町などの「ブランド被災地」に挟まれる広野町。写真は町役場
東日本大震災から丸4年となる3月11日、全国で震災を異例する追悼式典が開かれました。県単位ではもっとも大きな犠牲者数を出した宮城県の沿岸13市町だけでも、約1万3200人が自治体の主催する異例式典に参列し、哀悼の意をささげました。
津波で約4000人が犠牲となった宮城県石巻市では式典に約1000人が参列し、市内6か所に設けられた献花台には、計2200人が献花を行いました。一方、津波で74人の児童と10人の教師らが犠牲となった同市立大川小学校の旧校舎では、遺族会主催の慰霊式典が行われ、遺族や卒業生、地域の人々約200人が参加しました。
「ブランド被災地」の陰に隠れ……
[写真]震災から4年となる3月11日、宮城県石巻市の大川小学校では慰霊式典が行われ、2時46分に合わせて、防災無線からサイレンが鳴るなか、参列者たちが黙祷を捧げる
震災から5年目に入り、メディアから伝えられる現地の情報は徐々に減ってきています。そうした中でも、陸前高田、気仙沼、南三陸、石巻、南相馬など、今も関心の高い被災自治体がある一方で、なかなか大きく取り上げられない被災地もあり、その差は顕著です。
社会学者の開沼博さんは、震災によって関心が集まるようになった「ブランド被災地」とそれ以外の自治体の分化が、震災から1年経った頃から顕在化し、そのことで「ブランド被災地以外の課題を覆い隠してしまう危険性がある」と2013年段階で指摘しました。
ジャーナリストの亀松太郎さんは、そんなブランド被災地以外の地域を「マイナー被災地」と呼びます。
「単純に被災地と言っても、被災の状況はバラバラ。津波で深刻な打撃を受けた地域もあれば、原発事故の影響を受けた地域もあります。同じ自治体の中でも、モザイク状に被災の状況が違っています。そうした複合的な状況を抱えながら、詳しい情報がその地域以外になかなか伝わっていないのを見て、記事を編集するときの見出しに『マイナー被災地』とつけたのが最初です」
産業振興が課題:岩手県野田村
県との合同追悼式が行われた岩手県野田村は、町の中心地が津波で浸水し、沿岸の住宅479棟 が全半壊、39人の村民が犠牲となりました。現在、防災を基本とした土地整備を中心に復興計画 が進められています。
40年近くにわたり村議を務めている宇部武則さん(73)は、「復興は着実に進んでいる」と分析します。2013年には、NHKの朝の連続テレビ小説『あまちゃん』が人気となり、舞台のロケ地の一つでもある野田村に、ドラマを見てファンになった観光客が訪れるようにもなりました。
「震災後の支援ボランティアや『あまちゃん』ファンによって、目に見えるように多くの人が村の外から人が訪れるようになった」(宇部さん)
野田村にとって、これからの最大の課題は産業振興です。現在の人口は約4500人。震災前に比べて、およそ150人減ったことになりますが、人口流出に歯止めをかけるためにも、産業振興による地域の活性化は不可欠です。
「震災によって自宅を失った人だけでなく、若い人などが仕事を求めて北にある久慈市や内陸の盛岡市へと移ってしまった。しかし、2013年から2015年で、約250人も村民が増えているのです。復興が進み、住む場所や仕事があれば、人は戻ってくとわかりました。けれど、産業振興に明るい展望はありません」と宇部さん。効果的な具体策が見出せていない町の現状です。
震災前に抱えていた課題が、震災によって更に表面化した被災自治体ですが、「ブランド被災地」などでは、震災観光ツアーやコンパクトシティ構想などによって、震災によってできた外部との連携を有効に使いながら・大胆な町の改革が試みられています。しかし、「マイナー被災地」では、そもそも外部との連携も少なく、震災復興と震災以前の課題克服を一挙に進めるような手法が取りにくいのです。
2つの原発に近い:福島県広野町
[図]福島第一原発から30キロ圏内に位置する広野町
福島県浜通りにある広野町は、津波や地震の影響で2人が死亡し1人が行方不明。300以上の住宅が全半壊となりました。
さらに深刻だったのは、東京電力・福島第一原発の事故の影響です。福島第一原発から30キロ圏内、第二原発から10キロ圏内にある広野町は、避難指示対象地域となり、多くの住人が町外に避難しました。震災前は約5500人が広野町で暮らしていましたが、今年1月末現在で約3分の1となる1800人が町に戻り、約3000人が週に1度以上、日中を広野町で過ごしていると町は考えています。
[写真]「少しでも広野町の情報を町外に発信したい」と語る遠藤町長
「日中、約3000人の町民が町で生活し、原発作業や除染作業のために広野町で長期宿泊する人などが約3000人、合計で震災以前よりも多い6000人が広野町で生活を営んでいる計算になります」
そう分析するのは遠藤智町長。まずは生活インフラである商業施設などが再開し、今いる町民の生活負担を軽減させることが優先事項と言います。その一方で、町外に住む町民のうち、約4割が健康を不安視し、3割が放射線量を心配している姿が、町の住民アンケートから浮き彫りになりました。
「町外に避難している皆さんには、帰還を無理強いするようなことは絶対にできません。町内のほとんどは除染活動などによって放射線量も低く抑えられており、引き続き住民の皆さんが安心できるような取り組みを進めて行くと同時に、町からの情報発信を積極的に行って行きたいと思っています」
広野町は南のいわき市、北の楢葉町や富岡町といった「ブランド被災地」に挟まれているため、メディアで取り上げられる機会が少なくなると遠藤町長は危惧しています。
「そのためメディアの取材を積極的に受け、少しでも広野町の情報が町外に発信されるようにしています」
存続の危機:三陸沿岸の集落
[写真]震災前には160人が暮らしていた女川町の御前浜地区。ここに積み上げられた土砂は、この集落の復旧工事に使うのではなく、市街地造成の土盛などで使われるもので、一時的にこの集落に保管されるために積み上げられている。御前浜地区の高台造成が完成し、地域の人たちが戻れるのは、2016年末の予定
宮城県女川町も震災で関心を集める「ブランド被災地」と言えるでしょう。しかし、そんな女川の中にも「マイナー被災地」は存在しています。
女川の市街地から沿岸を車で15分ほど走ると、御前浜という集落に到着します。震災前には160人の住人がいましたが、津波の犠牲にならなかった家屋・建物はたった2軒だけ(津波による犠牲は13人)。復興計画が進んでも、この集落に戻って住むという意思を示しているのは、今いる3世帯を含めて14世帯のみです。漁業を営んでいる人たちを中心に、コンパクトシティとして生まれ変わる市街地ではなく、この小さな集落に残るのだそうです。
リアス式海岸が続く宮城県・岩手県の三陸地方には、震災前にこの御前浜と同じように小さな集落が数え切れないほど点在していました。そうした小さな集落は、いま存続の危機を迎えています。1次産業の担い手が減少していることに加えて、震災の被害が大きな影を落としているのです。
被災地から離れたところから震災の情報を受けていると、どうしても先行する中心地の復興やブランド被災地の現状ばかりが目につきます。その裏にある、様々な厳しい課題を抱えるマイナー被災地の現状が覆い隠されてしまっているのは、開沼博さんの指摘通りです。
3月12日は、東日本大震災の翌日、長野県栄村が震度6強という長野県北部地震に襲われた日です。3人が犠牲になり、約200戸の家屋が全半壊。現在、すでに仮設住宅などの避難者はいませんが、自宅再建が適わなかった村民など53人が、災害村営住宅で暮らしています。
被災地以外で情報を受ける私たちが、まだまだ厳しい状況にある被災地を見守るように関心を持ち続ける事が震災を風化させないために大切です。
(渡部真/フリーランス編集者)
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