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サッスオーロに所属するイタリア代表FWザザ [写真]=Getty Images
サッスオーロのジョルジョ・スクインツィ会長が、イタリア代表FWシモーネ・ザザが残留する可能性があることを明言した。イタリア紙『トゥットスポルト』が26日に報じている
日本の経団連にあたるイタリア産業総連盟の会長も務めるスクインツィ氏は、ザザのユヴェントス移籍決定報道について「ユーヴェはすでに金額が設定された獲得オプションを持つが、ザザは退団するとは限らない。これからの動きを見てみようじゃないか」と言明し、退団を否定した。
また、ミランの熱狂的なサポーターとして知られるスクインツィ会長は、エウゼビオ・ディ・フランチェスコ監督のミランからの関心について「ディ・フランチェスコ監督はまだ我々と1年契約を持つ。私のミランが、ディ・フランチェスコ監督を欲しているという記事も読んだ。だが、私には誰も何も言っていない」とコメント。ディ・フランチェスコ監督と来シーズンも契約を結んでいることを強調している。
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イタリアのエッチェッレンツァ(5部リーグに相当のアマチュアリーグ)の一戦で、大乱闘が勃発した。大手メディア『ユーロスポーツ』が26日に報じている。
22日に開催されたラグーサ県のヴィットーリャとカターニア県のパテルノーによるシチリアを本拠地とする2チームの対戦で、事件は起こった。試合は開始9分にヴィットーリャのエンツォ・トルナトーレがろっ骨にひびが入るケガで病院に搬送されるなど序盤からヒートアップ。すると、ハーフタイムにスタジアムにつながる通路で両チームの選手が入り乱れて大乱闘に発展し、映像では殴る蹴るの暴行が確認されている。
後半もキックオフされたが審判はすぐに試合の中止を決定。試合を運営する『レーガ・ディレッタンティ』は両チームを0-3の敗戦とし、600ユーロ(約7万8000円)の罰金を科した。また、乱闘に加わった両チームの選手に処分を下し、ヴィットーリャのヴィンチェンツォ・エスポージトに両チーム最大となる8試合の出場停止を命じている。
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スペイン代表に初招集されたセビージャのビトーロ [写真]=Getty Images
国際Aマッチ週間を迎えたフットボール界、現地24日から合宿に入ったスペイン代表は、現地27日にウクライナ代表とのユーロ(欧州選手権)予選、現地31日にオランダ代表との国際親善試合に臨む。
このうちサンチェス・ピスフアン(セビージャの本拠地)で行われるウクライナ代表との一戦で観客から最も多くの声援を浴びる1人が、今回が代表初招集となるセビージャのMFビトーロだろう。現地25日の練習後に行われた会見に臨んだビトーロは、本拠地でのデビューに期待を馳せた。
「自分のホームスタジアムであるサンチェス・ピスフアンで、日頃から応援してくれているファンの前でデビューを飾れれば、もの凄く美しい思い出になるだろう。セビージャで代表の試合が行われる際は、いつでも多くの人がスタジアムに駆け付けるからね。代表に招集されたこと自体が成功と言えるが、デビューしたいというのが選手としての率直な気持ちだ。とはいえ、もし今回の2試合でそれが実現しなかったとしても、代表での経験を満喫し、再び戻って来られるよう努力を重ねるだけだ」
ビトーロはまた、代表初招集ながらもチームでのプレーのし易さを感じていることを説明した。
「スペイン代表はプレーのリズムがとても速いので、普段よりも瞬時の判断が求められる。ボールに触れるのが大好きな選手にとって、常にパスワークを中心に試合を組み立てるこのチームでプレーできるのは本当に有難いことだ。ここには素晴らしい選手が集まっているので、良好なコンビネーションを築くのはとても簡単だ」
一方、将来にも目を向けているビトーロは、スペイン代表における次なる目標についても明らかにした。
「トップリーグでプレーすることに、代表入りすることと、僕は幸運にも夢を次々と叶えることができている。次の夢はユーロやワールドカップに出場することだ。難しいことは分かっているが、そのためにハードワークを続けていきたい」
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リヴァプール一筋17年。ジェラードは愛するクラブのために全身全霊を賭してプレーした [写真]=Getty Images
1998年11月29日のブラックバーン戦。ヴェガード・エッゲムとの交代で、初めてプレミアリーグのピッチに入ってきた18歳の青年を見て、リヴァプールのファンは「あのやせっぽちのガキは誰だ?」とつぶやいた。
本人いわく、右サイドバックでプレーしたデビュー戦は「ポール・インスには怒鳴られるし、(マッチアップしたブラックバーンの)ダヴィド・ジノラにはおちょくられるし、最悪だった」という。だが、マージーサイド郊外の街ハイトンで生まれ育ち、エヴァトニアンの親戚に青いシャツを着せられようと、アレックス・ファーガソンの誘いを受けようとも、愛するレッズでのデビューだけを夢見てきたスティーヴン・ジェラードにとっては、夢が叶った瞬間だった。
それからおよそ17年。ジェラードは何度もアンフィールドに魔法をかけ、ファンを魅了してきた。やせっぽちの少年が「キャプテン・ファンタスティック」と呼ばれる英雄に変わっていく過程を、彼の背番号と同じ8つの名シーンとともに振り返る。
【初タイトルは「カップトレブル」】
ジェラードが初めてタイトルを獲得したのは、“カップトレブル”を達成した2000-01シーズンのこと。
リーグカップ、FAカップに続く3冠目となったアラベスとのUEFAカップ決勝は、延長戦の末に5-4という死闘だった。ジェラードはこの試合、見事な飛び出しからマイケル・オーウェンのパスを受け、右足を振り抜いてネットを揺らし、国内だけでなく欧州の舞台でも存在感を示すことに成功した。なお、この大会で得意のプレースキックを武器に大活躍したのが当時36歳のMFギャリー・マカリスターだったが、若き日のジェラードにとって、隣でプレーする百戦錬磨のベテランは素晴らしい“教科書”だった。
【宿敵ユナイテッド相手の初ゴール】
宿敵マンチェスター・ユナイテッドから奪った初ゴールは、2001年3月31日、アンフィールドでのゲームだった。
開始16分で決めた先制点にして決勝点は、ジェラードのスタイルを象徴するようなボックス外からの豪快なロングシュートだった。その後、ジェラードは何度も宿命のライバルチームを苦しめてきた。フェルナンド・トーレスとの黄金コンビで4-1と大勝した08-09シーズン、3本のPKを蹴って2本を決め、3-0で勝った13-14シーズンと、“テレビカメラにキス”という名セレブレーションが生まれたオールド・トラッフォードでの2試合を覚えている人は多いはず。それだけに、わずか38秒で退場してしまった先日のラストバウトが悔やまれるばかりだ。
【23歳でキャプテン就任】
「時々、メルウッド(練習場)から帰宅するドライブの途中で車を止めて、自分に言い聞かせるんだ。『オレはリヴァプールFCのキャプテンなんだ』ってね」
2003年10月、ジェラール・ウリエ監督は、23歳のジェラードをキャプテンに指名した。それまで荒っぽさが目立ったジェラードのプレーが改善され、振る舞いに責任感が生まれたのはこの出来事が大きなきっかけだ。ちなみに、主将になって最初にした仕事は、シーズン途中に腕章を奪われてしまう形になったサミ・ヒューピアに謝罪をすること。リヴァプールという名門を束ねることの誇りや意味を知っているからこその行動だった。
【トロフィールームでの残留宣言】
今年1月にアメリカ行きを発表するまで、ジェラードの移籍が現実味を帯びた唯一の時期が、04年〜05年にかけてだった。
ジョゼ・モウリーニョ監督から熱烈なラブコールを受け、チェルシーから当時の倍額となるサラリーを提示されたジェラードだが、04年の夏にアンフィールドのトロフィールームで記者会見を開き、こう話している。
「僕は自分の心に従うよ。チェルシーに行くつもりはない」
世界中の注目が集まる中での残留宣言。1年後、イスタンブールで奇跡を起こしたジェラードは、2年連続でチェルシーが提示してきたオファーも「あんな夜を経験した後に移籍するわけがない」と一蹴している。
【オリンピアコス・ビューティー】
逆境でこそ、真価を発揮する。そんなジェラード評を確立したのが、04-05シーズンのCLオリンピアコス戦だろう。
グループステージ最終節。試合は残り5分を切り、決勝トーナメント進出にはどうしてもあと1点が必要だった。その瞬間、ジェラードは眼前にやってきたボールを無心で叩いた。右足から放たれたシュートがまっすぐゴールネットに突き刺さる。
「Ohhhhhhhh Ya Beauty!」
テレビを通じて英国中に響き渡った解説者アンディ・グレイの大絶叫は、今でもファンの耳に残っている。
【イスタンブールの奇跡】
上記オリンピアコス戦で魔法を使ったジェラードは、チームをイスタンブールでの決勝に導いた。だが、そこでも試練が襲い、ミランを相手に前半でなんと3点ビハインド。誰もが優勝を諦めた。
しかし後半開始直後、ヨン・アルネ・リーセのクロスにヘッドで合わせたジェラードのゴールが、すべてを変えた。キャプテンに煽られたサポーターが一瞬で息を吹き返し、さらに2点を追加したリヴァプールはあっと言う間にスコアをタイに戻すと、延長、PK戦の末に大逆転でビッグイヤーを手に入れた。
延長戦、ジェラードは右サイドバックに入ってミランの“ジョーカー”だったセルジーニョのドリブルを必死に食い止めた。奇しくもデビュー戦と同じポジションで栄光のために奮闘した彼の姿に、心を打たれたファンは数知れない。
【FAカップの「ジェラード・ファイナル」】
ジェラードの魅力が凝縮されたような試合だった。だからこそ、06年のFAカップ決勝は“ジェラード・ファイナル”と呼ばれている。
ウェストハム相手に2点を先制されたリヴァプール。キャプテンは美しい放物線を描く得意のロングパスでジブリル・シセの得点をアシストすると、自らも豪快なボレーを決めてスコアは2-2に。だが、ラスト25分で相手に勝ち越しを許し、絶体絶命かと思われた90+1分。またしてもジェラードが魅せた。相手のクリアボールを30メートル超の距離からダイレクトで叩き、起死回生の同点ゴール。その勢いのまま、リヴァプールはPK戦を制した。後にジェラードは、もし足にケガを負っていなければロングシュートは選ばずにボールをトラップしていたと明かしている。まさに、“怪我の功名”が生んだ名場面だった。
【記念のダービーでハットトリック】
2012年3月14日のマージーサイドダービー。1点目は左足で柔らかく、2点目は得意の右足で豪快にネットを揺らすと、最後は終了間際に、相棒ルイス・スアレスの完璧なお膳立てからハットトリック達成。ジェラードにとってプレミア400試合目という節目のゲームを完璧な形で飾るとともに、この日がエヴァートンの監督就任10周年の記念日だった敵将デイヴィッド・モイーズに赤っ恥をかかせたあたりも、レッズの英雄が千両役者たるゆえんだ。
「キャプテンなら、なんとかしてくれる――」
8つの名場面を見てきたからこそ、サポーターはジェラードに夢を見て、ジェラードを愛してきた。
「THE BEST THERE IS, THE BEST THERE WAS AND THE BEST THERE EVER WILL BE」
今年1月、退団を発表した直後にゴール裏のファンが掲げたフラッグにはこんな文字が刻まれていた。
現在ベスト、歴代ベスト、そして永遠にベスト。
これこそ、“コップ”たちの偽らざる思いなのだ。
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国内リーグで無敵の強さを誇るリヨン [写真]=Getty Images
なでしこジャパンDF熊谷紗希が所属するリヨンの女子チーム「リヨネ・フェミナン」。ヨーロッパ女子チャンピオンズリーグ2連覇(2010-11、11-12)を達成し、06-07シーズンからフランスリーグ8連覇中の欧州屈指の強豪クラブである。
今シーズンもリーグ戦で圧倒的な強さで首位を独走。リーグ9連覇をほぼ手中にしている状況だが、順位表を見ると改めてその“無敵ぶり”がよくわかる。
リヨンは現在、リーグ戦19試合を消化して全勝。チーム成績はなんと「124得点・6失点」というぶっちぎりの数字をたたき出している。1試合の平均ゴール数は6.5点、リーグ戦では二桁得点を4回も記録。メッツ戦にいたってはホームで15-0、アウェーで11-0、2試合合計26-0という、もはやサッカーの試合結果とは思えないようなスコアで圧勝している。
個人成績を見てみると、スウェーデン代表FWロッタ・シェリンが28得点、フランス代表FWウジェニー・ルソメが25得点、ノルウェー代表FWアーダ・ヘーゲルベルグが23得点と、3トップで76ゴールをマーク。ちなみにこの3人はリーグ得点ランクのトップ3で同じチームで得点王を争っている。フィールドプレーヤー17人中10人が得点を記録(熊谷は19試合2得点)し、GKのサラ・ブハディも1ゴールを挙げている。
ただ、リヨンにとって今シーズンが“歴史的な”シーズンというわけではない。リーグ戦全勝優勝は既に2度(10-11と12-13)達成しており、12-13シーズンには「132得点・5失点」という驚異的な成績を残している。リーグ8連覇中、負けた試合はわずか4試合のみと、国内リーグでは近年、まさに“無敵状態”を続けているのだ。
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