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「国へ返す」――趙治勲二十五世本因坊の目を覚まさせた木谷實九段の言葉

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「国へ返す」――趙治勲二十五世本因坊の目を覚まさせた木谷實九段の言葉

「国へ返す」――趙治勲二十五世本因坊の目を覚まさせた木谷實九段の言葉 NHKテキスト『囲碁講座』の人気連載「二十五世本因坊治勲のちょっといい碁の話」がスタートして間もなく一年。連載開始時から、一年の締めくくりには師匠の木谷實九段(故人)夫妻と木谷道場の話をすると決めていたという。
 
 * * *
 
 先生のところでお世話になるきっかけを作ってくれたのは、一足先に木谷門下生になっていた15歳上の兄、祥衍(七段)です。「ぼくは入門が遅かった。治勲はまだ間に合うから」と両親を説得したそうです。
 叔父にあたる趙南哲(九段・韓国棋院名誉理事長)さんもいろいろと骨を折ってくださったと聞きました。南哲さんも木谷門下生。日本棋院初の韓国出身棋士でした。来日したのは、ぼくのお披露目の場として用意されていた「木谷一門百段突破記念大会公開早碁(昭和37年)」の前日。連載初回(14年4月号)でも触れましたが、6歳で親元を離れて日本に渡り、右も左も分からないうちに林(海峰名誉天元)先生との五子局に臨んだわけです。
 林先生はぼくをサポートするように打ち進めてくれてね。最後は中押し勝ち。打ち続けていたらどうなっていたか分かりません。ただ、木谷先生はとても喜んでくれました。「この子を10歳までに入段させる」なんて宣言も飛び出すほどに。こうして木谷門下生としての生活が始まりました。
 韓国では碁の天才と呼ばれていました。しかし道場には日本全国から天才が集まっています。確か加藤(正夫名誉王座)さんが10歳上、石田(芳夫・二十四世本因坊秀芳)さんは8歳くらい上だったかな。歳の差も大きいですが、力量も全く違った。
 ショックです。自信喪失。やる気がなくなりました。周囲に持ち上げられて生きてきたぼくは真っ逆さまに転落ですよ(笑)。
 そのうち道場には光一(小林名誉三冠)さんがやってきた。旭川の天才は、はっきり言って弱かった。光一さんもショックだったろうね。4つ年下のぼくにも勝てないんだから。でも彼は努力した。ぼくは加藤さんや石田さんに勝とうとしなかった。この差はすぐに表れて、あっという間に追い越されちゃった。来日して2、3年は何も勉強してないに等しかったなあ。
 木谷先生が宣言した「10歳までに入段」はかなうはずもなく…。そこで厳しく叱られました。「国へ返す」と。この一言は頭を大きな石でガツンとやられたかのような衝撃でね。ようやく真剣に勉強する気が起こりました。ぼくの木谷道場での生活が本当にスタートした日だと思っています。
 ■『NHK囲碁講座』2015年2月号より

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