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東京の”サブカルチャー発信基地”として圧倒的な存在感を持つ「ロフト・プラスワン」が、2015年、めでたく20周年を迎えた。
さまざまなジャンルの人たちが壇上で話しをする「トークライブハウス」という新しいスタイルの”箱”は、どのようにして産まれたのか? そして今後、どんな展開をしていくのだろうか? 今回は、ロフトグループ会長、平野悠氏にインタビューを試みた。
* * *
ーー今でこそ、”サブカル”のイメージが強い「ロフト・プラスワン」ですが、ライブハウスの「新宿ロフト」が始まりだったんですよね?
平野 悠(以下、平野) 僕が40年前に(音楽の)ライブハウスを作った時は、東京には1軒もライブハウスがなくて。音楽が絶望的な時代だったんだよ。今となってはライブハウス全国に2000軒以上もある。今はライブハウスブームだよね? 僕がライブハウスを作った時は他に一軒もなかったんだぜ、って言えるのは気持ちいいね。
その運営は大変で、1982年に「新宿ロフト」以外の店舗を閉鎖、暖簾分けした後は、海外に10年間滞在した。それで92年に日本に帰国した後、またロック業界に戻ろうと思ったんだけど、それができなかったんだよね。
僕が日本を出た時はパンクが流行ってて、とても面白かったんだけど、帰ってきたら「スピッツ」とかわけのわかんないのが流行ってて。”君の気持ちも分かる”だの”君が好きだの嫌いだの”そんなつまらない歌ばっかり。もう、今後どんな音楽が流行るのか全然わからなくなっちゃってたんですよ。
「じゃあ、音楽じゃない、僕の遊び場を作ろう」と思った。居場所と言ってもいいかな。たとえば居酒屋で、一番面白い話をしてるグループにマイクを向けたらどうだろう? って考えて、そこから、トークライブハウスという新しいジャンルがうまれたわけ。
ーー最初の発想は、けっこう身近なところだったんですね。
平野 そうだね。それから「ロフト・プラスワン」がオープンして20年、それまでは表舞台ではしゃべらなかった音楽関係者や作家、劇作家なんかを引っ張りだして話をしてもらって、世間にも少しは、「トークライブハウスって面白い」って思われてきたんじゃないかと思うんだけど、どうだろう?
ーー「ロフト・プラスワン」は、姉妹店として「ネイキッド・ロフト」、「阿佐ヶ谷ロフトA」の東京2店舗に加え、昨年は大阪に「ロフト・プラスワン・ウエスト」も誕生させました。…