政治そのほか速
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当時出会った人たちを久しぶりに訪ねると、山里は平穏を取り戻していた。
黄金色に輝く棚田が秋風に波打つ。「今年は出来がいいよ」。長岡市(旧栃尾市)森上の農業、梅沢専一さん(67)はコシヒカリ収穫の合間に白い歯を見せた。約100枚ある棚田のほとんどで地盤が傾いたり沈下したりするなどした。重機を操ってあぜや土手を自力で直した。肥料や乾燥方法を工夫し「平地に負けないうまいコメができた」と自信を見せる。
しかし、順調な復興の陰に震災は新たな不安を生み出していた。被災地の旧山古志村(現長岡市)や近隣の地区で人口が震災前の約半分に激減したのだ。小学生の数は4分の1だ。「10年先にはどうなるか」と梅沢さんは顔を曇らせる。
「よした!」。小千谷市の闘牛場に威勢の良いかけ声が響く。1トン近い巨体がぶつかり合うが、決着をつけないのが、この地域の闘牛のルールだ。世話をする「大家1号」と共に舞台に上がった同市小栗山の養鯉(ようり)業、片岡上生(じょうぶ)さん(31)は小さい頃から牛中心の生活だった。震災の時も仮設住宅から牛を避難させた場所に通って世話をした。養鯉施設の復旧作業にも「牛がいたから頑張れた」という。
今、片岡さんが考えているのは闘牛の伝統を引き継ぐこと。「若い者がやらなければなくなってしまう」。過疎や高齢化は加速している。日本有数の豪雪地帯で冬は厳しい。それでもヤマの暮らしや文化を守っていきたいという。
写真と文 佐藤俊和
(10月1日から12日に撮影)