政治そのほか速
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【モスクワ真野森作】ロシアのプーチン大統領は9日までに、昨年3月のウクライナ南部クリミア半島の一方的な編入を、同2月に同国の首都キエフで政変が起きた直後に決断していた、と明らかにした。大統領はこれまで、クリミア編入は、昨年3月に実施され9割超がロシア編入に賛成した住民投票の結果に基づくもので国際法に合致すると主張していたが、ロシアが初めから編入をもくろんでいたことを自ら暴露した。対露制裁を続ける欧米諸国やウクライナ政府を刺激しそうだ。
9日夜に露国営テレビが放送した特別番組の予告編の中で、プーチン氏は、昨年2月22日から翌朝にかけて、政権を追われたウクライナのヤヌコビッチ前大統領を自らの指揮でロシアへ脱出させたと告白。脱出完了の直後、国防省や治安機関の首脳に「(旧ロシア領の)クリミアを取り返す作業を開始しなければならない」と指示したと振り返った。さらに、反ロシアの民族主義勢力が政変に関与したことを理由に、「(ロシア系住民の多い)クリミアを見捨てることはできない」と当時の判断を正当化した。
準備工作の一環で独自の世論調査も実施したと述べ、「75%が編入希望と分かり、我々が着手すればさらに支持率が高くなることは明らかだった」と強調した。
クリミアは1954年までロシア領だったため、91年のソ連崩壊以降、ロシア編入を求める親露派勢力の不満がくすぶっていた。プーチン政権は現地の親露派活動家と連携し、ロシア軍も投入して住民投票を早期に実施させ、狙い通りに編入を実現したとみられる。
編入後に就任した「クリミア共和国」ナンバー2のシェレメト第1副首相は、毎日新聞の取材に「ロシア復帰は我々の夢だった。キエフの政変で実現のチャンスが生まれた」と語った。
プーチン氏は昨年3月18日、クリミアのロシアへの編入を正式表明した。その2日前にクリミアで実施された住民投票の結果を根拠に、「自治権」を尊重すると説明して正当化していた。