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◇両社協が友好協定 職員、断続的に派遣
11日で発生から4年を迎える東日本大震災を受け、大津市社会福祉協議会(桐畑弘嗣会長)が、被災地・宮城県南三陸町の社協と友好協定を結び、支援と交流を進めている。活動を通じ、職員らはこれからも東北とつながり、ともに復興へ歩んでいくことを誓っている。(池内亜希)
大漁旗を模したステッカーとキャラクター、そして「南三陸町&大津市社会福祉協議会」の文字。見た人が被災地を思うきっかけになるようにと、市社協は町社協から乗用車1台を借りて車体にステッカーを貼り、昨年4月から業務で使っている。事務所には東北の観光をPRするコーナーを設置。被災地に向かうボランティアバスの運行も続けている。
「被災直後だけでなく、立ち上がっていく南三陸をずっと応援したい」。市社協の山口浩次さん(52)は取り組みへの思いをそう語る。
山口さんは震災から間もない2011年3月27日、ボランティアセンターの運営支援で同町に入った。町内では津波で押し流されたがれきがそのまま残され、町社協の建物には窓から車が入り込み、物が散乱していた。その場所で職員数人が亡くなったことを聞いた。覚悟はしていたが、現状は想像を超えていた。
市社協から最初に派遣された山口さんは、連日集まる50人前後のボランティアの行き先を決める作業を主導。約1週間後、市内に戻った。
「若手の職員にもこの経験をさせなければ。実際に見なくては、何も分からない」。そう強調する山口さんに続き、市社協は11年9月まで職員延べ11人を断続的に派遣した。
12年8月からは、原田清文さん(33)が約半年間、派遣された。市社協は同9月、町社協と友好協定を締結。震災の風化を防ぎ、息の長い活動を続けたいとの思いからだった。
原田さんは町社協で事務作業を担当。震災から1年半がたち、職員の表情には明るさも見えたが、震災のニュースが流れると急に静まりかえった。町社協でも家族や家をなくしたスタッフは多い。被災者支援にあたる彼らも被災者であり、改めて悲しみの深さと復興への道のりの遠さを感じた。
余震の揺れ、津波警報、鳴り響くサイレン、高台に逃げる人々――。当時、被災地で経験したことは、今も頭から離れないという。
今月15日、同町で開かれるボランティア感謝の集いには、市社協の職員8人も参加する。「町は行くたびに姿を変え、復興は進んでいるが、今も課題は山積し、なくなることはない」と原田さんは言う。被災地では観光客の足が遠のき、人の流れはまだ戻っていない。
「ゴールは見えないかもしれないが、地域の活性化に向け、これからもこの縁を紡ぎ、支えていきたい」と決意を語る。
◇13年台風 大津が当事者に
災害の教訓を現場で生かすのは難しい。13年9月、大津市は台風18号の被害に遭い、市社協は初めて災害ボランティアセンターを設置した。東北の被災地支援で運営を経験した職員もいたが、「当事者となると全く違った」と口をそろえる。
運営に関わった植松美帆さん(29)は「どの地区に何人派遣するか。何が求められているかを把握することさえスムーズにいかなかった」と振り返り、震災後、南三陸町で活動した高山邦久さん(36)も「地域の人々と関係を密にしないと、何か起きた時に生かすことができないと学んだが、まだまだだった」と話す。
各自の対応力を高め、災害時に住民の不安や要望を把握しやすい環境作りに向け、模索は続く。