政治そのほか速
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日本維新の会(維新の党の前身)が旋風を巻き起こした2012年の前回衆院選に比べると不振が目立った。
維新の党は、橋下、江田両共同代表の「二枚看板」の発信力を生かし、無党派層への浸透を狙ったが、厳しい戦いとなった。橋下氏は14日夜、大阪市内での記者会見で「維新の党に対する信任がなかったということ。完敗です」と語った。
維新の党は、次世代の党と分党後の日本維新の会と、みんなの党から分かれた結いの党が今年9月に合流して結党した。野党再編の必要性を唱え、民主党の一部などとの合流を目指していたが、今回の衆院選には間に合わず、準備不足のまま選挙戦に突入。与党の過半数割れを目標に掲げたが、選挙後の政権の枠組みを示すことはできず、有権者の期待感を高められなかった。
橋下氏が一時、大阪市長を辞職して衆院選に出馬することを検討し、看板政策の大阪都構想の実現を優先させるとして結局見送ったことも、党内の士気に水を差した。
民主党との競合を避けるため、小選挙区の候補者を一本化する調整も行ったが、互いに推薦は出さない消極的な協力にとどまり、効果は限定的だった。維新の党に一本化した選挙区で、橋下氏が民主党批判を展開し、民主党支持層の反発を招くなど、戦略のちぐはぐさも目立った。
報道各社の情勢調査で苦戦が伝えられると、「身を切る改革」など政策中心の主張から、与党が圧倒的多数を占めることの弊害を訴える戦術に転換したが、支持は広がりを欠いた。
次世代の党は、石原慎太郎最高顧問の知名度を頼りに、保守層を中心に支持を訴えた。自民党との政策の違いを明確に打ち出せるかどうかが焦点だったが、憲法改正や集団的自衛権行使の限定容認など、路線は安倍首相に近く、十分に差別化を図れなかった。石原氏が選挙期間中に引退を明言したことも、期待をしぼませる一因となった。
生活の党は、小沢代表が前面に立ち、アベノミクス批判を展開した。しかし、選挙直前に前議員2人が民主党に移ったり、民主党との調整で新人が立候補を見送ったりし、守勢に回らざるを得なかった。第3極の草分け的存在だったみんなの党は、浅尾慶一郎氏と渡辺喜美氏の路線対立から、選挙直前に解党した。