政治そのほか速
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阪神大震災の第1次応援隊として、広島市消防局で出発式に臨んだ政岡則義さん(前列中央)=1995年1月17日撮影(同市消防局提供)
昨年8月に発生した広島市北部の土砂災害。74人の犠牲者の中に、救助活動中に殉職した安佐北消防署消防司令補の政岡則義さん=当時(53)=がいる。政岡さんの長男で広島県警に勤務する敬志さん(30)は、人を助けるという消防士の使命を最期まで貫いた父の姿を胸に刻み、警察官として、思いを受け継ぐつもりだ。
「お父さんが土砂に流されたらしい」。上司から連絡を受けたのは、20日早朝に出動準備をしているときだった。頭が真っ白になり、「まさか」との思いで家族の元へと急いだ。自分の目で確認するまでは分からないと自身に言い聞かせた。
搬送先の病院で状況を聞くと、政岡さんは3歳の男児を抱きかかえたまま土砂にのみ込まれ、2人とも命を落としたという。対面した遺体は、中腰で膝が曲がった姿勢のまま硬直していた。土砂が来た瞬間、男児を離さないように必死で踏ん張った様子が目に浮かんだ。「自分の命に代えても助けたいと思ったのか」と涙が込み上げた。
幼い頃の敬志さんにとって、政岡さんは使命感が強く、昼夜問わず現場に飛び出していくヒーローのような存在だった。「おやじと同じく人助けをしたい」。2012年10月に転職して警察官になると、誰よりも喜んでくれた。
政岡さんは、自分を追って人を助ける仕事に就いた敬志さんに対し、1995年に起きた阪神大震災に派遣された経験などを話してくれた。もっと話を聞きたいと思っていた矢先の土砂災害だった。「役割は違っても、目指すものは一緒だと伝えたかったのだろう」と今は感じる。
実家に帰ると遺影に手を合わせ、日々の報告をする。あの日の救助活動では、誰が犠牲になってもおかしくなかった。危険な仕事に就いている以上、「あすはわが身」と気を引き締める。「おやじと同じように、自分も警察官として困っている人を助けないといけん。前に進まにゃあ」。まだ悲しみは癒えないが、自分の使命を胸に刻む。