政治そのほか速
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東日本大震災における犠牲者は、死者・行方不明者合わせて約2万人の人々が犠牲になった。
だが、そのうち身元不明者数は3,000人以上にのぼる。つまり、犠牲者のうち5人に1人は未だに見つかっていないというのが実情なのだ。
そろそろ震災から1年が経とうとしている現在、メディアも人々も一時期ほど震災について語らなくなっている。こうした現状の裏で、膨大な数の身元不明者や、発見されても身元がわかっていない遺体は、今どういう状況におかれているのだろうか。
昨年10月に発売されて瞬く間に10版を重ねたベストセラー『遺体――震災、津波の果てに』(石井光太著・新潮社)。これは岩手県釜石市における震災直後の遺体安置所や遺体捜索の状況を克明に記録したノンフィクションだ。
舞台となった釜石市では、震災の翌朝から廃校になった中学校が遺体安置所となり、毎日何十体という遺体が運び込まれていた。そこで、市の職員による遺体搬送、地元の医師による死体検案、歯科医による歯型確認などが行われ、身元がわかった順に遺族に引き渡されたのである。
市内中心部にある遺体安置所は、約2カ月で閉鎖されることになった。遺体の発見数が減ったことで、後の作業は警察に任されることになったのである。
震災直後に遺体安置所で死体検案を行っていたのは、地元の医師小泉嘉明(当時65歳)だ。小泉は数週間死体検案の中心で働いていたが、4月以降は県外から来た大学病院のチームなどに作業を任せ、自分は町の復興や自身のクリニックの仕事にもどった。
だが、6月頃に大学病院のチームが去ると、再び警察から死体検案の仕事が小泉のもとに回ってきた。津波による遺体は、医師免許を持った者が死体検案を行って死因を解明した後でなければ火葬を行うことができない。それで再び小泉に任されたのだ。
そこで目にした遺体は、震災発生時とは大きく異なっていた。小泉氏は次のように語る。
「震災の直後には多くの遺体が運ばれてきました。ただ、大半が傷ついてはおらず、きれいでした。窒息で亡くなっていたため、体に傷があまりなかったのです。しかし、夏以降に見つかった遺体は違います。がれきや海の底から発見されてくるので、かなり傷んでいるのです。腐敗が相当進んでいるケースもありました」
海に流された遺体は魚に食われたり、ガスがたまったりして傷みが激しい。また、津波とともに流れてくる瓦礫に巻かれているうちにバラバラになってしまうこともある。…