政治そのほか速
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李氏朝鮮の宗主国だった明の役人が日本の地理についてまとめた「日本図纂(さん)」(1561年)に、韓国領の鬱陵島(ウルルンド)が日本領として記載されていることが、島根県竹島問題研究会の調査で分かった。
韓国が不法占拠を続ける竹島(隠岐の島町)は、鬱陵島より日本側にあることから、同研究会は「明は竹島も日本領として認識していた可能性が高い」としている。
同研究会によると、日本図纂は倭寇(わこう)対策などの一環として、地理学者でもあった明の役人が編集した。掲載された地図には、当時は「竹島」と呼ばれていた鬱陵島が、「因幡」と「伯岐(伯耆)」(いずれも現在の鳥取県)の北の日本海に記載されている。
一方、同じ役人が1562年頃に李氏朝鮮の地理をまとめた「朝鮮図説」には、朝鮮半島の周囲に済州島や珍島などの記載はあるが、鬱陵島はない。
日本図纂の地図では、鬱陵島の西側に「隠岐」が描かれており、実際の位置関係とは異なる。当時は鳥取の住民らが鬱陵島に渡航していたこともあって、因幡や伯耆の近くに鬱陵島を描いたのではないか、と同研究会はみている。
鬱陵島について、韓国側は512年に新羅に編入され、竹島とともに領土になった、と主張している。1696年、江戸幕府は鬱陵島への渡航禁止令を出したが、それ以前は、幕府が鳥取藩主に鬱陵島への渡航を認めていた。(寺田航)