政治そのほか速
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◇「事件の情報を共有を」…教訓語り続ける警視庁元係長
オウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件は20日で発生から20年を迎える。当時、警視庁の鑑識課係長だった杉山克之さん(71)は、出動した現場でサリンを吸い込み生死の境をさまよった。「警察幹部が、坂本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件など教団の関与が疑われた事件の情報を共有していれば、事件を食い止められた」。犠牲者の冥福を祈りながら、事件の教訓を語り続ける。
杉山さんは現場一番乗りを身上とし、同僚から「すっ飛び」と呼ばれていた。事件当日の1995年3月20日午前8時20分ごろ、東京・霞が関の警視庁本部で「複数の地下鉄駅でけが人が出た」と一報を受けた。現場の一つとなった霞ケ関駅は目と鼻の先。駅に着くと同僚に「先に見てくる」と伝え、階段を駆け下りた。
地下3階の日比谷線ホームに、乗客を全員降ろして無人になった車両が停車していた。床に新聞紙の固まりがあり、中から液体がこぼれていた。「水に農薬でも混ぜたのかな」。臭いをかごうと顔を近づけた直後、手に力が入らなくなった。首を絞められるような猛烈な息苦しさを感じ、全身を金づちでたたかれたような痛みが襲った。必死で車両からホームに出たところで意識を失った。
入院中、幻覚と悪夢にうなされた。臭いに過敏に反応するようになり、食事も取れなくなった。新聞で「オウム」「サリン」の文字を見ると記憶がよみがえり、吐き気に悩まされた。
それでも、捜査への情熱は失わなかった。「鑑識は証拠が命。麻原(松本智津夫死刑囚)が事件に関わったことを示す『ブツ』をつかんでやる」。事件から1カ月足らずで職場復帰し、山梨県上九一色村(当時)の教団施設の捜索に加わった。
2004年に定年退職した後、警察大学校に依頼されて2年前まで講師を務め、全国の警察の幹部候補に「組織犯罪はどこでも起こりうるのに、情報共有できなかった警察に甘さがあった。幹部は全国の情報を共有すべきなんだ」と語りかけた。
サリンの後遺症で今も背筋に寒気が走ることがある。「犠牲者は自分よりもっと苦しみながら亡くなった。事件を経験した者として、忘れさせちゃいけない」。20日は自宅の仏壇に向かい、これからも事件を伝えていく決意を新たにする。
【山崎征克】