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◇ドキュメンタリー映画の上映が中野で始まる
動力なしの小舟で4700キロの航海−−。探検家で武蔵野美術大(東京都小平市)教授、関野吉晴さん(66)らが、
インドネシアから日本までの海路を記録したドキュメンタリー映画「縄文号とパクール号の航海」の上映が28日、東京都中野区の映画館で始まった。
日本人の起源には諸説あり、映画のルートはこのうちの一つ。関野さんは「自然との共生を考えるきっかけになれば」と話す。
文化人類学者の関野さんは、日本人のルーツを探るため、日本列島に人類が移り住んできたルートをたどる旅を続けてきた。2004年以降、「シベリア→北海道」
「ヒマラヤ→朝鮮半島→長崎県・対馬」の2ルートを「踏破」。映画はインドネシア・スラウェシ島から沖縄・石垣島を目指す3ルート目を撮影したものだ。
2008年に砂鉄約120キロを採集。熱で溶かした後、固めたおので、スラウェシ島の大木を切り出し、現地の植物の繊維で作った帆など自然の素材だけで「縄文号」を作った。
同島の少数民族、マンダール人の木造伝統漁船「パクール号」も並んで航海。いずれもエンジンがなく方位磁石さえ使わない。星と島影を頼りに、手こぎと風力で航行した。
一気に移動するのは困難で、09年4~8月、10年5~6月、11年5~6月と3回に分け計178日の船旅だった。縄文号は全長約6.8メートル、パクール号も約11メートルで4~6畳の広さしかない。
風がほとんどなければ1日たった10キロしか移動できない漂流の日々。強風や大波で帆が裂けると、揺れる船上で修理を余儀なくされる。「お前の指示には従わない」。
ストレスなどから、20~60代の日本人とマンダール人の計11人から成るメンバーの間でトラブルが起きたが、力を合わせて乗り越えた。
医師でもある関野さんは、東日本大震災の直後、宮城県気仙沼市で医療支援のボランティアをした。映画にはこの時、被災者が「自然にはかなわない」と語るシーンもある。
「自然は時に脅威となるが、科学が発展しても制御できない。古代の船旅から、共生の大切さを感じてほしい」
上映は4月24日まで(延長の可能性あり)ポレポレ東中野(03・3371・0088)。一般1700円▽大学・専門学校生1300円▽中高生1000円など。【深津誠】
◇マンダール人
インドネシアに約300あるとされる民族の一つで、同国中央部に位置し、コーヒー豆(トラジャ)の生産で有名なスラウェシ島の少数民族。
主産業は漁業で、現在は操業時にエンジン付きの大型船を使うが、近海漁では今も帆船を使うことがあり、造船・操船技術にたけているとされる。
http://img.mainichi.jp/sp.mainichi.jp/enta/images/20150328k0000e040256000p_size5.jpg
http://mainichi.jp/enta/news/20150328k0000e040200000c.html
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