政治そのほか速
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iTunesが、4月25日にネパールでおきた大地震で、被害を受けた方々の救援活動を支援することを目的とした赤十字社への募金募集「国際赤十字赤新月社連盟への寄付」を開始しています。
これまで、iTunesでは、東北地方太平洋沖地震への募金活動や、ハイチ地震の被災者への募金活動などが行われています。
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第18回統一地方選挙の後半戦は26日、142市区町村長選と586市区町村議選で投票、一部を除いて即日開票された。大阪府内の3市長選では、大阪市をなくして五つの特別区を設けるいわゆる「大阪都構想」で対立する大阪維新の会と自民党の推薦候補が激突し、いずれも自民党の推薦候補が勝った。
吹田市長選は自民、公明両党が推薦する新顔の後藤圭二氏(57)が、維新推薦で現職の井上哲也氏(58)ら3氏を破った。後藤氏は選挙戦で「行政レベルが下がる危険性がある」と都構想批判を展開。当選後には「(反対派の)堺市長、八尾市長とともに都構想の防波堤になる」と語った。前回、公認で維新ブームの象徴となった井上氏は、今回も維新色を前面に出したが、及ばなかった。
3人の新顔が争った寝屋川市長選でも「都構想と連携した市政を推進する」と訴えた維新推薦候補が敗れ、自民党推薦の元同党府議が初当選。八尾市長選では自民、民主、公明、社民の各党が推薦した現職が、維新と次世代の党推薦の新顔を退けた。こうした結果に、自民党の竹本直一府連会長は「住民投票で反対の後押しになる」と語った。

25日未明、福岡市中央区天神2丁目の警固神社で、境内にあるキツネの石像4体すべてが破壊されているのを巡回していた防犯ボランティアの男性が見つけた。連絡を受けた神社が福岡中央署に通報。署は器物損壊容疑で調べている。
首の部分が壊されたキツネの石像
警固神社や同署などによると、石像は土台を含めて約1・5メートル。警固神社の南側にある「今益稲荷神社」の拝殿前にあった。うち1体は土台ごと倒され、首から先が折れていた。別の1体は首から先が折られ、2体は像だけが土台から落とされていた。このほか、境内にあったのぼりのうち1本の柄が折られ、駐車中の乗用車のフロントガラスが割られていた。
25日午前0時半ごろ、巡回していたNPO法人「日本ガーディアン・エンジェルス福岡支部」の男性が発見した。警固神社によると、24日午後10時ごろには異常がなかったといい、約2時間半の間に何者かが境内に入り、悪質ないたずらをしたとみられる。
奈良県や京都府を中心に11府県30カ所以上の寺社などに油のような液体がまかれる事件が相次いでいるが、署によると、破壊された警固神社の石像からは油性反応は出ていないという。
同神社のキツネの石像は「おいなりさん」の愛称で親しまれ、商売繁盛などの御利益を求めて、鼻の先をなでる参拝者が多い。警固神社の前田安文宮司(55)によると、他県の事件を受け、安全対策が必要だと考えていた時だったといい、「こんな重い物を動かすなんて、1人の犯行なのか」と険しい表情で語った。
警固神社は天神の繁華街の真ん中にあり、夜間にも参拝者があることから、境内には出入りできるようになっている。
5歳の孫を連れて神社を訪れた近くの女性(56)は「ひどすぎる」と絶句。「『ばちが当たる』という言葉を知らないのかしら」と憤った。
=2015/04/25付 西日本新聞夕刊=

26日午後5時25分ごろ、鹿児島県霧島市の鹿児島空港に小型機(セスナ172RG型)が胴体着陸した。国土交通省鹿児島空港事務所によると乗っていた男女2人にけがはないという。滑走路は約3時間半にわたり閉鎖され、同空港発着の約30便が欠航となった。
【写真】胴体着陸した小型機=26日午後6時4分、鹿児島県霧島市の鹿児島空港、全日写連二宮忠信さん撮影
同事務所によると、小型機は同日午後3時40分、萩・石見空港(島根県益田市)を離陸。1時間40分余の飛行後、鹿児島空港に着陸し、滑走路で動けなくなった。車輪は出ておらず、小型機を操縦していた男性(48)は「車輪を出し忘れた」と話しているという。
同事務所によると、機体は民間所有のプロペラ機で、最大定員4人。着陸直後は消防車両が周囲に集まったが、炎や煙は上がらなかったという。同空港では27日も機材繰りのため、一部の便が欠航するという。

第二次世界大戦の荒波を生き抜き、現在は観光施設として横浜市中区の山下公園に係留されている豪華貨客船「氷川丸」が、25日で建造85年を迎える。港ヨコハマの象徴として多くの観光客が訪れるが、戦後70年の今年、その「数奇な運命」と平和の尊さを語り継ぐ機運が高まっている。
【年表と写真】「氷川丸」が乗り越えた昭和史の荒波
◇戦時中は旧海軍病院船
昭和史と軌を一にする同船の歴史を、関係者がつづった「氷川丸ものがたり」が5月に刊行されるほか、同書を原作とする同名のアニメ映画(大賀俊二監督、虫プロダクションなど製作委員会)が製作中で、8月から順次、全国で上映される。
氷川丸は1930(昭和5)年、日本郵船の貨客船として横浜で建造された。アールデコ様式の内装で知られ、秩父宮ご夫妻や喜劇王チャプリンも乗船した。戦時中は旧海軍病院船として南太平洋で任務につき、3度も触雷しながら沈没を免れた強運の一方、命を落とした患者を船内で荼毘(だび)にふした悲しい歴史をもつ。
「氷川丸ものがたり」は、かまくら春秋社(神奈川県鎌倉市)の伊藤玄二郎代表が企画した。78年に同社から出した「氷川丸物語」を基に、伊藤さんが関係者らに新たにインタビューするなど、大幅に加筆・改稿した。
底本の著者、故高橋茂さんは出征中にラバウルでマラリアにかかり、命からがら氷川丸で帰国。復員後、毎日新聞鎌倉通信部の記者として伊藤さんと知り合った。「“命の恩人”氷川丸の本を書きたいんだ」。熱っぽく語った高橋さんは、伊藤さんの協力を得て2年がかりで出版にこぎつけ、船上で記念パーティーを開いたが、間もなくがんで亡くなった。
遺族の理解を得て、氷川丸の物語を改めて世に問うことにした伊藤さんは「戦争を知らない若者に、平和であり続けることの難しさと幸せを考えてほしい。これこそ高橋さんが伝えたかった願いです」と話している。【中澤雄大】