政治そのほか速
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江崎グリコはスナック菓子「プリッツ」のキャラクターデザイン製品3品種「マイルドサラダ」「ラーメン味」「ホタテ味」において、原材料表示に乳アレルギーに関する表示が漏れているとして出荷を停止し、自主回収を決めた。
回収対象は約10万個に及ぶ。購入者には同社宛てに料金受取人払いで送付すると、商品代金相当のQUOカードを返送するとしている。
[ダブリン 22日 ロイター] – アイルランドのヌーナン財務相は22日、ギリシャの改革案をめぐる同国とユーロ圏財務相の交渉について、ある程度の進展があったとした上で、具体的な決定は5月より前にはないとの見方を示した。
ヌーナン財務相はダブリンで記者団に対し、「ある程度の進展はあったものの、5月11日の(ユーロ圏財務相)会合までに具体的な決定はないとみられる」と述べた。
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[北京 22日 ロイター] – 中国人民銀行(中央銀行)の陳雨露・金融政策委員は、金融政策を一段と緩和する余地があり、特に銀行の預金準備率はなお引き下げることが可能との認識を示した。新華社が22日伝えた。
陳氏は、新華社に対し、根強いデフレリスクは、将来、一段の政策緩和がある可能性が高いことを示唆すると語った。
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およそ百年前の1917年7月、イギリスのコティングリーで2人の少女が妖精の姿を写真におさめ、やがてシャーロック・ホームズの作者として有名なコナン・ドイルが写真を本物と認めて雑誌に掲載させたことから、イギリス全土で激しい論議が巻き起こった。当時、寄せられた反響の大半は否定的なものだったようだが、ドイルは1922年に「妖精の出現−コティングリー妖精事件」を著して反論するなど、肯定派と否定派は全面対決の様相を見せたという。
ドイルはかねてより心霊現象を始めとするスピリチュアリズムに強い関心をいだいており、また心霊の存在を科学的に立証する手段として写真にも大きな期待を寄せていた。実際、彼が1920年に妖精写真に出会う以前から心霊写真家集団「クルー・サークル」とは親交を深めており、また1918に設立された「超常写真研究会」では副会長も務めていた。
心霊写真の歴史は意外と古く、確認されている最古の事例は1861年にアメリカのボストンで撮影された写真とされる。写真の発明が公開されたのは1839年だが、心霊写真にとってより重要なのはガラスネガに像を写す湿式コロジオン技法が1851年に発明されたことであった。技術的な要素は割愛するが、それまでの銀板写真や紙ネガを用いる方法よりも撮影が簡単で、シャープな画像を得られる上、多重露光や撮影後の修正といった写真加工が可能となり、写真家にとっての自由度が大幅に向上したのである。
そして、スピリチュアリズムへの関心が高まっていた19世紀後半の時代背景もあり、降霊術などと組み合わせた心霊写真が続々と撮影、公表されていった。
ドイルが妖精写真を目にした時には、既に心霊写真の存在と真偽に関する論争が半世紀ほど続いており、偽心霊写真の検証についても手法が確立されていた。もちろん、最初に妖精写真を持ち込まれた神智学協会のロンドン支部長はプリントやネガを専門家に鑑定させており、重ねてドイルもコダックなどの専門家に鑑定させている。その結果、いずれの鑑定においても「ネガもプリントも修正を施されておらず、写真は野外で撮影され、多重露光でもない」との回答を得たことから、ドイルらは写真が本当に妖精の姿をとらえたと確信したのであった。
しかし、鑑定結果はあくまでも「偽造ではない」ことを示したに過ぎず、写真が妖精の姿を写しているのかどうかは、また別の問題であった。黒ではないことは、白であることを意味しないのだが、オカルトに深く傾倒していたドイルは「偽造でなければよし」として、画面に写っている【なにか】が「妖精ではない」可能性を無視したのである。
次回は少々寄り道して、初期の心霊写真とその偽造方法を簡単に解説する。
(続く)
*写真イメージ

女優ハ・ジウォンが22日の午後、ソウル市江南区論硯洞のインペリアルパレスホテルで開かれたOnStyleの『ハ・ジウォンのお姉さんとゴーゴー』制作発表会に出席、笑顔を見せてくれた。