政治そのほか速
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福井県出身の水野さんは東大農学部卒の元農水官僚。2009年に金沢大医学類の学士編入試験に合格した。14年春に大学を卒業し、国家試験は2度目でパスした。
医師を志すきっかけは、金沢市の北陸農政局に赴任した10年前、50代の女性が医学部に受かった新聞記事だった。19歳の時父親を病気で亡くし、医師という職業に関心があった。仕事をしながら、毎日午前3時に起きて受験勉強した。
医師への道は楽ではなかった。必死に勉強したが、若いころより記憶力は衰えた。学科試験を通っても、年齢を理由に面接で落とされた。受験は5年間で延べ30校に上った。
「面接官から『あなたが医師になることは、若い人の芽を摘むことだ』と言われたこともあった。私は『若い人だって明日死ぬかもしれないが私は40年生きます』って答えた」
金沢大では入学式で保護者と間違われ、患者からは教授と勘違いされた。「指導教授の大半は年下。向こうはやりにくかったろう」と笑う。
いつか東北で働こうと決めていた。入省3年目に水沢市(現奥州市)にあった岩手県の出先機関で勤務し、人や自然に引かれた。「最終的に女房が奥入瀬や十和田のバラ焼きを気に入った。都会には何の未練もありません」と言い切る。
2年間の研修後は、身近な病気を広くカバーする「総合診療医」になりたいと考えている。医師不足に悩む東北のへき地で医療に携わるのが目標という。
「当直勤務は体力的に不安だが、いつでもどこでも寝られる。役所時代に国会対応で鍛えた」と、どこまでも前向きだ。