政治そのほか速
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前回の東京オリンピックが開かれた1964年にプロテストに合格した青木功の「プロ生活50周年を祝う会」が、昨年12月19日に都内のホテルで開かれた。
ゴルフ界からはもちろん、プロ野球の長嶋茂雄さん、大相撲の九重親方(元横綱千代の富士)らスポーツ関係者、さらには安倍晋三首相まで駆けつける空前のスケールとなった。
プロ生活50周年を祝う会で語った青木の言葉には、ゴルフへの熱い思いが込められていた
■「ゴルフつくってくれてありがとう」
そんな中でのあいさつを「こんなに長く続けることができる体に産んでくれた両親に感謝しています」と切り出したところで言葉を詰まらせ、目を赤くした。さらに、次のように続けた。
「ゴルフの神様に感謝しています。ティーグラウンドに立つといつも『ゴルフというスポーツをつくってくれてありがとうございます』とお礼を言っています」
プロにはなったものの、3年間は予選落ちばかり。68年の関東プロで初めて賞金を手にしたが、71年に28歳で初優勝(関東プロ)するまでに7年もかかっている。「宵越しの銭は持たない」ではないが、もらった賞金があっという間に消えてしまう荒れた生活を送っていた男が、ゴルフに真正面から取り組むようになって、どんどん成長していく。
たまたま「帝王」ジャック・ニクラウスと初日、2日目の予選ラウンドが同じ組になった80年の全米オープン。「ジャックについていこう」とだけの思いでプレーした結果、敗れはしたが、最終日の最終ホールまでもつれ込む、まさに4日間72ホールの2人の激闘となった。
■苦労に対して神様が最高のシナリオ
あるいは83年のハワイアン・オープン。最終日の17番を終えて、トップのジャック・レナーに1打遅れていたが、18番パー5の第3打、左ラフから128ヤードのピッチングウエッジのショットが直接カップインしてイーグル。野球でいえば「逆転・満塁・サヨナラホームラン」で米ツアー初優勝が転がり込んできたのだ。
日本人男子プロとして初めて米ツアーに本格挑戦し、コースの違い、言葉の問題、生活環境の差、いろんなことで苦労してきた青木に、ゴルフの神様が最高のシナリオを用意し、「よく頑張った」と肩に手を置いてくれたようにすら感じられる。