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23日の第87回センバツ第3日の第2試合に登場した仙台育英(宮城)の谷津航大(こうだい)選手(3年)と、開幕試合で勝利した八戸学院光星(青森)の馬場龍星捕手(同)は、宮城県多賀城市の同じ硬式野球チームにいた中学1年の時、東日本大震災で被災した。チームを離れざるを得なかった仲間もいたが、同学年の9人で全国大会にも進んだ。甲子園出場をつかんだ2人は、苦楽を共にした「9人分の思い」を胸に戦っている。【佐藤裕太、近藤綾加】
震災発生時に多賀城市の自宅にいた馬場選手は、高台を目指す途中で津波に迫られて付近の民家の2階に避難した。周囲はみるみる水にのまれ、恐怖の一夜を過ごした後、救助された。
家族も家も結果的には無事だったが、チームの練習場はがれきや車で埋まった。好選手がそろっていた同学年の11人のうち、2人は離脱を余儀なくされた。「こんな状況で野球をやってて良いのかな」。馬場選手も迷っていた。
「これ以上仲間が減ってほしくない。9人で野球をしよう」。悩む馬場選手に谷津選手はメールを送る。上級生が引退しても、仮に下級生が入ってこなくても、「9人が欠けなければ試合はできる」。思いに応えて残ってくれた馬場選手らと練習に打ち込んだ。
主将として全国大会に出場した中学3年時には、9人全員が先発出場を果たした試合もあった。「やめてもおかしくない状況なのに続けた仲間に感謝している」。飛躍を誓い、地元の強豪・仙台育英に進んだ。
昨秋の東北地区大会では、馬場選手がいる八戸学院光星も準決勝で降し、優勝した。地区大会の覇者が集う明治神宮大会の前、「光星のために頑張るよ」と馬場選手に連絡した。優勝校の地区には1枠分のセンバツ出場枠が与えられるからだ。言葉通り優勝して、八戸学院光星もセンバツ切符をつかんだ。
開幕戦で勝った馬場選手からは「勝ったよ。今度、育英も勝てよ」とメッセージがあった。2人のもとには、他の高校でプレーしている中学時代のナインからも、「頑張れよ」「応援してるからな」と次々メールが届いている。応えるためにも「お互い勝ち残って準決勝で対戦したい」。思いは一つだ。