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タカタ“殺人エアバッグ”、なぜ生まれたのか?疑惑やずさんな生産管理が次々露呈

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タカタ“殺人エアバッグ”、なぜ生まれたのか?疑惑やずさんな生産管理が次々露呈

タカタ“殺人エアバッグ”、なぜ生まれたのか?疑惑やずさんな生産管理が次々露呈

 

 今回は依然として注目度の高いタカタのエアバッグ問題を取り上げる。この問題がどのくらい深刻で、どのように解決するべきなのか2回に分けて考察したいと思う。

 まずは事実関係を整理すると、2008年に米国でタカタ製エアバッグが暴爆(設計値以上の出力で爆発すること)して内部の金属片が噴き出し、乗員を殺傷したという衝撃的な事故が起きた。完成車メーカーの本田技研工業(ホンダ)はすぐにリコールに応じたが、その原因を特定することが難しかった。暴爆後のエアバッグは火薬が燃焼してしまうため、何も残らないからだ。そこでホンダはタカタと共同で原因追求した結果、疑わしい原因が複数件見つかった。

 原因のひとつは、火薬をプレスする生産工程がずさんだったことだ。北米ワシントン州のモーゼス湖のほど近くにある工場で生産されたインフレーター(バッグを膨らませるためのガスを発生させる装置)は、タカタの工場に出荷されている。なぜ日本でインフレーターが生産できなかったのかというと、日本は火薬取締法が厳しく、火薬を扱う量産工場を新設しにくいというのが理由のひとつだ。さらに海外にある火薬を扱う会社を買収したほうが早く完成車メーカーのニーズに応えることができるというのも、海外展開を考えると大きな理由といえるだろう。

 日本より米国でエアバッグのニーズが高まったきっかけは、1984年にNHTSA(米国運輸省道路交通安全局)が制定したFMVSS208条である。それによって衝突事故から乗員の命を守る技術開発が促進された。その救世主として登場したのがエアバッグだったのだ。こうして米国市場でエアバッグのニーズが高まり、完成車メーカーの注文に応えるべくタカタは同国に積極的に進出していったのであった。

●疑わしい問題が次々露呈

 ここで、時計の針を現在に戻そう。リコールとなったホンダ車にはタカタのメキシコ工場で組み立てられたエアバッグが搭載されていた。このためメキシコ工場が調べられ、やはりここでもずさんな管理が行われていたことが判明した。次から次へと疑わしい問題が明らかになり、リコールの台数は増えていった。

 結果、モーゼス湖とメキシコの工場にそれぞれ問題があることを突き止めたものの、もうひとつの問題が発生していた。高温多湿という実際の使用環境では、火薬をプレスしたペレット状のプロペラントが劣化し、ひび割れたりする可能性があるという新たなる疑惑が生じたのだ。実際の使用環境における劣化や寿命という問題は一見単純だが、火薬という化学薬品を使用するエアバッグにとっては盲点だった。

 このようにエアバッグが暴爆した原因が明確に特定できないまま現在に至っており、事故が起きた米国では「殺人エアバッグ」との厳しい批判を浴びている。最近は日米政府と関係する自動車メーカーが連携して、調査のためのリコールを実施している。その数は2000万台を超える。しかし、二次被害を出さないこと、原因解明という目的のためには、やむを得ない措置ではないだろうか。次稿では、開発当時の経緯と背景を踏まえて、この問題を考察したい。
(文=清水和夫/モータージャーナリスト、日本自動車研究所客員研究員)

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