政治そのほか速
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◇南座で6月 舞妓がPR
南座(東山区)で6月に開かれる京都五花街の合同公演「都の賑(にぎわ)い」をPRしようと、出演する舞妓(まいこ)5人が19日、南座と京阪電鉄祇園四条駅で通行人らにチラシを配った。
京都伝統伎芸振興財団などの主催。22回目となる今回は6月27、28日に開かれ、芸舞妓約80人が出演する。能の「老松」を基にした祇園甲部の常磐津「常磐の老松」や、安珍清姫伝説を題材にした上七軒の長唄「座敷舞道成寺」など7演目が上演される。
この日、舞妓たちが「来とくれやす」と声を上げると、周囲には人だかりができていた。
公演は各日午前11時と午後2時30分の2回。チケットは20日から販売され、1万5000円~6000円。問い合わせは同財団(075・561・3901)。
4月12日投開票の県議選を前に、金沢市選管は19日、立候補者のポスターを貼る掲示板の設置を始めた。
掲示板は縦1メートル36、横4メートル55で、27人分の候補者のポスターを掲示でき、立候補者は3日の告示から届け出順で貼ることができる。
この日は市役所前で、委託業者が骨組みに掲示板を固定した。市選管によると、27日までに市内597か所に設置される。
「レーシック」を受けてから3年以上がたちます。レーシックとはレーザーを用いた「視力回復手術」で、近視だった私が受けたのは、自身の目の形に極力、合わせて手術を行う「カスタム・レーシック」と呼ばれるものでした。
実のところ、私は先の尖(とが)ったものが苦手で、とても恐がりです。注射や点滴、手術という言葉自体に恐怖感を持っており、こうして言葉を綴(つづ)っているだけで体がムズムズします。
そんな自分がよく手術を決断したと思いますし、友人たちからは「ええっ!?」とひどく驚かれました。それはたぶん、あのタイミングだったから。
レーシックを受ける前、辛(つら)いこと、心が冷えるような出来事がこれでもかこれでもかというくらいに重なり、「やけになっていた」という状況でした。もちろんそれだけが理由ではありません。以前から考えていたことで、レーシックを受けた方から話を伺ったり、眼科医に相談もしていました。
けれど、決められたのはあのタイミングだったから。あれを逃したら今も迷ったままだったかもしれません。
今現在、手術を受けたことによる問題は感じていません。メガネやコンタクトレンズを必要としない日々を快適にすごしています。
手術後は、それまでより目をいたわるようになりました。「便利さ」を求めて心身にかけた負荷を無駄にしたくないですから。
具体的には、パソコンに向かうときはブルーライトを軽減するメガネをかける、日差しの強い季節や照り返しの強い場所ではサングラスを使う、遠くを見るようにする、目に好影響の食物を意識的に摂(と)る…、などなどです。
先のことは分かりませんが、現時点ではレーシックを受けて良かったと思っています。「やけになるのは絶対にだめ」という教訓も含めて。決断と結果。それは状況がどうなろうと自分の責任で、事の大小によらず自らがずっと抱えていくもの。ですから、やけになっては絶対にいけないと心に言い聞かせています。
【矢野直美】 国内外を旅しつつ写真を撮り、文章をつづる「フォトライター」。鉄道の旅をこよなく愛する「鉄子」の先駆者としても知られ、著書多数。札幌市在住。
本州から来た大切な人を寿司(すし)屋でもてなしたい時、困るのは日曜日に休む店が多いこと。そんな時に覚えておきたいのが、知る人ぞ知る「鮨一(すしかず)」。中心街から離れた北区にありながら、日曜も昼・夜ともに営業し、ネタの良さに定評がある。
店主の内田一行さん(53)は、旭川出身。寿司屋を営む親せきが6人もいた環境のせいか、高校卒業後、迷わず寿司職人の道へ進む。老舗の「東寿し」「すし善」で修業を重ね、独立したのは、1990年のこと。今の店のはす向かいにあった空き店舗で店をスタートして15年、現在地へ移転して8年になる。
店内に足を踏み入れるとまず目に入るのが、珍しい勾配のつけられた白木(ヒノキ)のカウンター。その上に浅く見えるネタケースが埋め込まれ、その底には厚さ30センチもある氷が敷かれている。ケースの中には、鮮度抜群のボタンエビやホタテなど、海の幸がふんだんに並べられ、眺めているだけで生つばがゴクリ。
なかでも内田さん自慢のネタは、塩もしくは甘ダレで味わう穴子。シンプルな塩で食べてみると、穴子そのものの旨(うま)みがじんわりと口中に広がり、味わい深さを堪能できる。今の時期は東京湾でとれたものを使うが、季節によって噴火湾など産地は変わり、旬のものを通年楽しめるそうだ。
もうひとつ見逃せないネタが、毎年、大間と戸井から一本買いする本マグロ。寿司屋の定番とはいえ、赤身はもとより大トロまで、常に一定レベルのマグロを味わえるのがうれしい。
毎朝、市場に通って食材を求める内田さんは「おいしい食材を見つけ、おいしい寿司を握り、お客さんに『おいしい』と言ってもらえるのが最高の喜びです」と、顔をほころばせる。
カウンターは15席あって、予約制となっている。内田さんと並んで、若き寿司職人の船渡寛一さん(36)も握り、親方譲りの腕を発揮してくれるので安心だ。
仲間同士や家族連れは小上がりが居心地よさそうだが、飲んべえにはカウンターをおすすめしたい。というのも、積丹町の漁師に仕込んでもらう絶品の塩ウニをはじめ、子持ちシャコやナマコ酢など、季節に合わせた多彩なツマミが登場するから。
遠くても行きたい「そば屋」があるとしたら、さしずめここは遠くても行きたい「寿司屋」と言えるだろう。(文・和田由美 写真・藤倉孝幸)
【住 所】 札幌市北区北24西19の4の14 (電)011・728・5350
【営業時間】 午前11時30分~午後2時、午後5時~午後10時。月曜休
【主なメニュー】 穴子1貫500円、マグロ赤身1貫500円、塩ウニ500円、小上がり席=握り2500円~、カウンター席=旬のおまかせ握り12貫5000円、おまかせ8000円~、生ビール小(ザ・プレミアムモルツ)500円、日本酒(大関)400円 ※税別
※メニュー、価格などは変更されている場合があります。
◇石島 最後の生徒 卒業運航に幕
瀬戸内海に浮かぶ石島(玉野市)で半世紀以上にわたり、中学生を対岸の学校に送り続けた船「スクールボート」が18日、廃止された。人口91人の島に小学生はおらず、最後の生徒が卒業式を迎えたこの日、役目を終えた。
石島は、同市・胸上港の沖約5キロに位置し、かつては市立胸上小学校と東児中学校の分校があった。生徒数の多い本校への進学を希望する子どものためにと、住民が1957年、漁船を改造したボートでの送迎を始めた。
その後、旧東児町が専用船を建造。64年に東児中分校が廃止されると、約30人が船通学をしていた。しかし、少子化で胸上小分校も2012年に廃校となり、最後の中学生となった土手大輔君(15)の卒業を機に、運航を終えることになった。
この日、胸上港で「さよならセレモニー」があり、親子2代で船長を務めた川西孝明さん(37)に、土手君が「雨の日も風の日も、濃霧の日も送っていただき、ありがとうございました」と感謝の言葉とともに、花束を手渡した。
玉野市内の県立高校に合格すれば、石島と宇野港を結ぶ航路を利用するという土手君。「毎日送ってくれた川西さんは、僕にとって家族のような存在」と振り返り、川西さんは「大事な子どもを預かり、事故だけは起こさないようにと気を使っていた。開始から無事故で終えられて、ほっとしている」と語った。