政治そのほか速
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」や津波で生じた流木などをバイオリンに生まれ変わらせた「津波バイオリン」の県内初の演奏会が11日、岐阜市藪田南のサラマンカホールで開かれた。英国のフィルハーモニア管弦楽団のエイドリアン・ヴァレラさんが奏でる津波バイオリンの音色に、約250人の観客は追悼と復興への思いを込めた。(八木さゆり)
津波バイオリンは、世界的なバイオリン製作、修復者として知られる中沢宗幸さんが製作した。バイオリンの表と裏の板をつなぎ振動を伝える「魂柱」に、奇跡の一本松を使い、その他の部分にはがれきの山から柱や流木などを拾い、木の命をバイオリンによみがえらせた。
このバイオリンを通じて震災の記憶を風化させまいと、1000人の奏者がリレーするように演奏する「千の音色でつなぐ絆」プロジェクトの一環。津波バイオリンを初演奏したヴァレラさんは、所属する楽団の日本ツアー終了後、震災に合わせて演奏したいという思いから、この演奏会が実現した。
プログラムの最初は、カルミナ・ブラーナから「おお、運命の女神よ」。壮大な合唱曲をソロ演奏に編曲したヴァレラさんは「運命という車輪は、一人一人が引くことによって大きな輪になる」と話し、続くビバルディの「春」には「日本の助け合いという素晴らしい精神で、がれきとなった街に芽が出るよう思いを込めた」と語った。
演奏会に先立ち、ホール内での地震発生を想定した避難訓練が行われ、出入り口の避難誘導灯を確認して、観客と職員がホール外に避難した。早川敦朗・岐阜南消防署長は総評で「震災が起きた際は落ち着いて慌てずに、自分の身の安全、火の始末、避難路の確保をするよう行動をパターン化しましょう」と呼びかけた。
東日本大震災から4年となった11日、県内でも各地で人々が黙とうをささげて犠牲者を追悼した。民間ボランティアによる復興イベントや、県警による災害救助訓練なども行われた。
■避難者50人減
震災が発生した午後2時46分、県庁では職員が1分間の黙とうを行った。石井知事は「引き続き、被災者の心に寄り添って、出来る限りの支援を行っていく」とのコメントを出した。
県によると、県内で避難生活を送る人は2月27日現在、福島県などから234人。前年同期よりも50人減少した。県はこれまで医師や土木技術者など職員222人を岩手、宮城、福島3県に派遣し、現在も農業などを専門とする12人を派遣している。県警は952人を派遣し、いまも福島県警に2人が出向している。
■無人ヘリで救助
県警では、電動無人ヘリ「マルチコプター」を使った災害救助訓練が実施された。ヘリは「ドローン」とも呼ばれ、世界の災害現場などで普及が進む。
訓練には、県外の災害現場に出動する広域緊急援助隊員ら約40人が参加した。同隊がドローンを使った訓練を実施するのは初めて。
呉羽山断層帯を震源とする地震で家屋が倒壊したとの想定の下、リモコン操縦されたヘリからの映像を頼りに、高さ約7メートルのがれきの中から被災者役の人形を探し出した。
初訓練を終え、同隊の八田俊寛小隊長(32)は、「新しい装備を使った訓練の有効性を実感した」と話した。
■チャリティーも
犠牲者を悼む気持ちは民間人も同じだ。富山市総曲輪のグランドプラザでは、震災復興を支援するボランティア団体「東北エイド」(富山市)がチャリティーイベントを開き、被災地の特産品販売などを行った。
参加者からは被災地への応援メッセージが寄せられた。富山市犬島、主婦金井琴美さん(42)は「なかなか被災地には行けないが、復興を応援する気持ちは持ち続けたい」と話した。
北陸新幹線開業を前に、JR東日本の子会社「日本レストランエンタプライズ」(本社・東京都港区)は11日、金沢市のホテルで出発式に臨み、グランクラスのアテンダントら69人が最高のサービスを提供することを誓った。
同社は、北陸新幹線「かがやき」「はくたか」の車内販売や最上級「グランクラス」のサービスを担当する。浅井克巳社長は、「また北陸に来たいなと思って頂けるようなサービスを提供してほしい」とあいさつ。
アテンダントを代表し、内灘町出身の田辺麻里さん(25)が「お客様からたくさんの『ありがとう』を頂けるようにがんばります」と決意を語った。
14日の金沢発一番列車「かがやき500号」のアテンダントが、能美市出身の千歩さくらさん(26)、白山市出身の米谷綾佳さん(25)に決まったことも発表された。千歩さんは、「とても光栄です」と笑顔で話した。
◇薬師寺管主、大川小で追悼
薬師寺の山田法胤(ほういん)管主は11日、児童、教職員計84人が津波にのまれた宮城県石巻市の市立大川小を訪れ、冥福を祈った。また、同寺は同市内のホテルで、犠牲者の冥福と復興を祈願する法要と写経会を行った。
山田管主が同小を訪れるのは2回目。強風が吹く中、激しく破壊された校舎近くにある慰霊碑の前で般若心経を唱え、静かに手を合わせて、亡くなった児童らを悼んだ。
今年で3回目となる法要と写経会には被災者ら約70人が参加。山田管主ら3人の僧侶が、犠牲者の供養と早期復興を祈願する文章を読み上げた。
山田管主は「震災が教えてくれた自然への畏敬の念は忘れてはならない」と法話。また「街の復興以上に、目に見えない痛みが残る心の復興は難しい」とし、「(写経が)心を落ち着かせ、物の見方を変えるきっかけになれば」と呼びかけた。
同県東松島市の自営業鈴木蓉子さん(51)は「生かされた命。毎年しっかりと、安らかに眠ってほしいと祈ることが私の務めです」と話した。(有留貴博)
東日本大震災から4年を迎えた11日、県内各地でも追悼の催しが行われ、発生時刻に犠牲者を悼み、黙とうがささげられた。阪神大震災から20年が過ぎた神戸では、二つの震災の被災地に生きる語り部たちが集い、体験や教訓を次世代に語り継ぐことの大切さを確認し合った。「1・17」から「3・11」へ――。参加者たちは「記憶をつないでいく」と誓い合った。(上野綾香、浅野友美、畑中俊)
◇気づかされた日常の備え
神戸市中央区の「人と防災未来センター」では、二つの震災の体験や記憶の継承について考える「語り部のつどい」が開催された。
「語り部」として登壇した元田久美子さん(57)(岩手県宮古市)は、東日本大震災で義母を亡くし、現在は宮古市田老地区で「学ぶ防災ガイド」を務めている。
「震災前は、義父から津波の恐ろしさを何度も聞かされたけど、『もう聞きたくない』と思っていた。震災が起きて、教訓を語り継ぐ人の存在が、どれだけ大切か気づかされました」と語った。
また、同地区で被災したホテルを「震災遺構」として保存する取り組みについて紹介。「遺構は地元にとって、見るたびに当時のつらさを思い出す建物。それでも、『ものを語らない語り部』となってほしい」と期待を込めた。
一方、NPOのメンバーとして、防災教育を行う団体のコンクール「ぼうさい甲子園」に携わる河田のどかさん(27)(神戸市)は、阪神大震災時には7歳だった。「当時をあまり記憶していない自分が震災を語っていいのか」と悩んだ時期もある。
しかし、「ぼうさい甲子園」のスタッフとして、震災を経験していない子どもたちが懸命に防災に取り組む姿を見るうちに「体験したかどうかは関係ない」と思い始めた。
「『語り継ぐ』とは、自分の体験を語ることだけではないんだ」と気づかされ、体験した人の言葉に耳を傾け、次の世代に受け渡す役目を果たそう、と決意した。
「私たちの世代は、震災の真実をあまり知らないからこそ、語ってくれる人の存在が重要。これから、経験を語る人と、受け取る人の出会いの場をつくっていきたい」
◇追悼ネット中継…東遊園地と宮城・岩手
神戸市中央区の東遊園地では、阪神大震災の復興のシンボル「希望の灯(あか)り」を分灯した岩手県陸前高田市の施設と、追悼行事が行われている宮城県名取市の仮設住宅の3か所をインターネット中継で結んで追悼イベントが行われた。
阪神大震災の追悼行事「1・17のつどい」の実行委員会が主催。会場では約300本の竹灯籠を「3・11」の形に並べて火をともし、地震発生時刻の午後2時46分に合わせて市民ら約200人が黙とうした。
あいさつした実行委副委員長の藤本真一さん(30)は「被災者の心の傷はまだ癒えないと思う。つながりを今一度強くし、共に歩みましょう」と呼びかけた。
◇長田の小学校も仙台と
神戸市立真野小学校(長田区)では、児童約120人が参加して、津波被害を受けた仙台市立東六郷小とインターネットで結び、合同の追悼集会が営まれた。
両校は昨年から交流を始め、今年1月17日には、東六郷小の児童4人が真野小を訪れ、阪神大震災の追悼イベントにも参加した。
真野小の大型画面には、東六郷小の追悼集会の様子が映し出され、両校の児童は犠牲者に黙とうをささげた後、震災復興ソング「希望の道」を合唱。集会後は、ネットを通じてクイズを出し合ったり、将来の夢を語り合うなどして楽しんだ。真野小6年・高野将己君(12)は「津波で校舎が浸水した東六郷の児童は、想像できないくらい苦労も多かったと思う。これからも交流を続け、震災の教訓を忘れないようにしたい」と話していた。