政治そのほか速
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◇仮処分審尋終結 関電、裁判官忌避申し立て
関西電力高浜原子力発電所3、4号機について、再稼働差し止めの仮処分申請の審尋が地裁で終結した11日、住民側は福井市内で記者会見を開き、3月中に差し止めの仮処分決定が出ることに期待を寄せた。審理を尽くすよう主張していた関電側は審尋の終了を受け、担当の裁判官3人の忌避(交代)を申し立てた。
住民側によると、樋口英明裁判長はこの日の第2回審尋で、事故時の対応拠点となる免震重要棟を高浜原発3、4号機に建設する予定があるかを確認。その後、高浜、大飯の両原発で審理を分けることを説明したという。
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高浜町の的場輝夫町議会議長は11日、高浜3、4号機の再稼働について最終判断する20日の全員協議会までに、地裁が差し止めの仮処分や却下を決定した場合、「全協で示す議長判断の一つの検討材料になる」と報道各社の取材に答えた。
東日本大震災から4年となった11日、道内各地でも犠牲者を追悼する催しがあった。
札幌市の札幌駅前通地下歩行空間では、犠牲者を追悼する演奏会が行われ、午後2時46分、集まった約50人が黙とうした。涙ぐむ人もいて、江別市の女性(69)は「震災をいつまでも忘れてはいけない」と語った。
石狩市の市民図書館では夕方、約200個のキャンドルがともされ、約60人の市民らが冥福を祈った。同市の小学6年生(12)は「被災地が早く元の姿に戻ってほしい」と願った。
道内で唯一の犠牲者が出た函館市では、市の施設に献花台が設けられ、市民らが次々と花を手向けた。
網走市では、復興を支援するチャリティーコンサートが開かれ、市内の中学や高校の吹奏楽部などが歌謡曲などを演奏。復興支援ソング「花は咲く」を来場者と一緒に合唱し、締めくくった。
東海3県の環境関連NPOなど約50団体で作る「22世紀奈佐の浜プロジェクト委員会」のメンバーが11日、鳥羽市役所を訪れ、同市の離島・答志島で3年前から続けている清掃活動などの結果を報告した。
環境省の調査によると、伊勢湾岸に漂着する流木やペットボトルなどのゴミは年間約1万2000トンに上り、うち約3000トンが同島北岸の入り江、奈佐の浜に漂着しているとされる。
市役所を訪れたのは、プロジェクト委員長で、鳥羽磯部漁協桃取町支所理事の小浦嘉門さん(58)と、3県の代表委員ら計4人。委員会では2012年6月以降、奈佐の浜の清掃を計4回実施。学生や市民ら延べ約1200人のボランティアが参加し、約10トンのゴミを回収した。
小浦さんは「プロジェクトの開始前は、漁業者自身で清掃するしかなかった。参加してくれるボランティアには頭が下がる」と感謝。報告を受けた木田久主一市長は「活動の広がりによって、ゴミを捨てる側の意識も変わりつつある。市民を代表してお礼したい」と話し、漂着ゴミの減少を呼びかける市製作のDVDを贈呈した。
委員会は今後も毎年10月に奈佐の浜の清掃活動を行う。また、今月28日には津市美杉町で植樹活動を実施するなど、3県での環境啓発活動も進める方針。
名古屋市東区葵のカトリック布池教会大聖堂では、約450人が参加した「犠牲者追悼・復興祈願ミサ」が開かれた。
震災が発生した時刻に、教会の鐘が鳴らされ、参列者は黙とうをささげた。その後のミサでは、聖歌隊「南山大学スコラ・カントールム」も参加し、聖歌を合唱。神父の岩崎一二三司教代理は「犠牲になられた人の冥福を祈り、連帯を強め、苦しい立場の人々と歩んでいきたい」と述べた。
参列した名古屋市緑区の鈴木浩彦さん(70)は「震災から4年たっても、まだまだ苦しんでいる被災者の方々に思いが届くように祈った」と話していた。
あなたの気持ちを手紙につづってみませんか――。東日本大震災の被災者や手紙の愛好者が書いた手紙の交換を仲介するボランティア活動を続ける夫婦がいる。姫路市の介護福祉士、佐藤佳美さん(31)と夫の章さん(34)。「てがみ屋」と称し、ペンネームで届いた手紙を取り持ち、知らない相手にそれぞれ届ける。文通とは違い、一度きり。「顔の見えない相手だからこそ打ち明けられることもある。手書きの文字のぬくもりを1人でも多くの人に届けたい」と話す。(藤本綾子)
活動のきっかけは昨年3月、章さんが福島県南相馬市にボランティアに行ったこと。仮設住宅で出会った小学2年の男児が「来年どこに住むのか、学校はどうなるのか、修学旅行はどこに行くのか、全くわからない」と嘆くのを聞いたが、かける言葉がなかった。佐藤さん夫婦には5歳と8歳の息子がおり、姫路に戻ってから「彼の将来の夢も聞いてみたかったな」と悔やんだ。
何かできることはないかと話し合い、佳美さんが子どもの頃から好きな手紙での支援を思いついた。中学時代から北海道の同年代の女性と文通を続けており、「手紙で自分の気持ちが整理され、悩みを聴いてもらうだけで楽になることが何度もあった」という。
昨年6月からインターネット投稿サイト・フェイスブックなどで便箋を配り始め、東北の知人やボランティアにも便箋を託す。昨夏からは、活動に賛同してくれた同じ「てがみ屋」という店名の長崎県の文具店にもチラシと便箋を置いてもらっている。
これまでに夫婦のもとに届いた手紙は約20通。被災地からは、まだ2通だけだが、福島県から神奈川県に避難している70歳代の女性の手紙には原発事故でふるさとを奪われた怒りと悲しみがつづられていた。
「手紙を読むあなたはもっとお辛い経験をされて、厳しい毎日かもしれませんね」。兵庫県の30歳代の女性は便箋に家族を亡くした悲しい体験と周囲の支えで少しずつ前を向けるようになった今の心境をつづり、“見えない相手”の苦しみにも思いを寄せた。
ほかの手紙にも、「暑いですが、夏バテ気味ではないですか」「あなたにもいいことがありますように」など相手を思う心が文面ににじむ。
発生から4年が過ぎた今も、多くの被災者が先の見えない生活を続ける。それでも、仮設住宅のポストに届く手紙が被災者にとっての「小さな幸せ」になればと、佳美さんは願う。「自分の名前が書かれた手紙がポストに入っていたときの喜びを、たくさんの人に感じてほしい」。
手紙の送付先は「〒671・2299 姫路市飾西41の3 飾西郵便局私書箱2号 てがみ屋」へ。