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バイト先の運動会で腕相撲チャンピオンに

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バイト先の運動会で腕相撲チャンピオンに

バイト先の運動会で腕相撲チャンピオンに 

 

  今回は「わたしの履歴書~アルバイト編その(1)」です。この連載の末尾、プロフィール欄に「様々なアルバイト」と書いてあります。本当にいろいろな職種を経験しましたが、悪いことも楽なこともしていませんよ。ほんの一端をお話します。

 

  まずは人生最初のアルバイトの話から。

  

 

 高座に上がる落語家の立川談笑さん

  春のこと。初めて履歴書を書いて、採用されたのはデパートの裏方さんでした。部署は商品管理。業務は納品車の誘導、納品された婦人服の検品、自宅発送の手配や伝票整理などです。月~金、昼間のパートタイムで月収は10万円前後だったかな。

  

  そんな私は高校卒業直後の18歳。大学浪人のなりたてほやほやです。通常なら予備校に通うところを、宅浪どころかバイト浪をしていました。こんな奴は当時もそうそういません。

  

  私は変なところで責任を感じるようで、高3で大学受験に失敗した時に考えたのです。

  

  「大学受験をもう一度はチャレンジしてみたい。とはいえ努力不足の尻拭いである予備校の学費を親に負担させるのは心苦しい。甘えすぎなのではないか」と。さらに、「むしろ、この年齢で学生でないならば働いて家計に入れるのが本来だ。1年後、大学受験がダメだったら頭脳労働は不向きなのだから肉体労働をしよう。具体的には、柔道で鍛えた大きくて頑丈な身体を頼りにプロレスの門を叩こう!」。

  

  と、こんなオリジナリティあふれる理由と無謀な将来展望をもって両親に説明する勇気も納得させる自信もまるでありません。そこでまずは予備校に通わないために手っ取り早くウソをつきました。

  

  「駿台予備校、受験したけど落ちちゃった」

  

  これには親もショックだったようです。こいつは大学はおろか予備校にすら受からない学力なのか、と。

  

  勤務したのは当時オープンしたての丸井錦糸町店でした。初めての仕事はとにかく楽しかった。周りは20~30代のお兄さん、お姉さん。パートのママさんたち。ついさっきまで高校生だった自分が、大人に混じってそれなりに機能していることが嬉しい発見でした。浪人生として直面している机での勉強よりも、部活やその他で鍛えた人間関係の中での気働きや言葉遣いが生きていると感じました。

  

  昼食は社会人と肩を並べて社員食堂。夜は飲み会に連れていってもらったことも。ただし、お酒はNG。若かったなー。若い社員さんたちの間で交わされる恋の話は、高卒の身にはとんでもない大人レベルで驚くやら張り切るやらw。伊豆の社員旅行にもついて行きました。

  

  一番の思い出は、全店合同の運動会に出場したことです。なぜか腕相撲の選抜チームに抜擢された私は閉店後に特訓を重ねた挙げ句、錦糸町店代表として出場することになりました。そして運動会当日、腕相撲大会はメインイベントでなんと優勝!!! 社長さんが私と握手する映像が丸井の社内報やらビデオやらで告知されまくって、私はしばらく従業員の間でちょっとした有名人でした。バイトなのに。浪人生なのに……。(丸井さん、資料室などに残っていませんか?)

  

  でも、目標はあくまで大学受験です。職場での日常が充実するほどに、焦りも迷いも募ります。ふと我が身を振り返れば、予備校生という肩書きすらなく「自称・浪人生」にすぎないという、厳然とした事実にぞっとしました。自分という存在がひたすら頼りなく、ちっぽけに思えてならなかったあの頃の心細さは忘れられません。

  

  秋になるとさすがに週5日の商品管理は辞めて、週1~2回の運送会社に切り替えました。系列の中野輸送(現・ムービング)という会社です。運転免許はないので「配送補助」。ドライバーだけでは運べないベッドやタンスなどの大きな家具の配送や、引っ越し作業の手伝いをしました。

  

  そこに高級ブランドのベッド配送専門のスペシャリストがいて、小柄で怒りっぽい無口なおじさんは誰もが一目置く存在でした。マコ岩松(往年のハリウッド俳優)みたいな風貌の人です。緊張しながら何度かご一緒するうち、「お昼をおごってくれた」と話したら営業所の全員がぶったまげてました。そう、チャーシューメン大盛りと、チャーハン大盛り。

  

  冬を前にアルバイトは完全に辞めて受験勉強に専念しました。我流の「大量暗記術」や「好きこそものの上手なれサイクル」を編み出したのはこの頃です(この欄でもいつか紹介します)。

  

  年が明けて、肝心の大学受験に成功しました。早稲田大学法学部という晴れがましい肩書きと立場を手に入れて法律家を目指した私が、さらにたくさんのアルバイトを経験した末に立川談志の弟子=落語家という冥府魔道の荒野に足を踏み入れるのは、まだまだ先の話です。

  (次回は2月25日の更新予定)

 

 

 

  立川談笑(たてかわ・だんしょう) 1965年、東京都江東区で生まれる。海城高校から早稲田大学法学部へ。高校時代は柔道で体を鍛え、大学時代は六法全書で知識を蓄える。予備校講師など様々なアルバイトを経験し、93年に立川談志に入門。立川談生を名乗る。テレビの情報番組でリポーターを務めながら芸を磨く。96年に二つ目昇進、2003年に談笑に改名。05年に真打ち昇進。古典落語をもとにブラックジョークを交えた改作に定評がある。十八番は「居酒屋」を改作した「イラサリマケー」など。
 <今後の予定>都内での独演会は3月14日、4月21日、広瀬和生氏とのトークショーもある「この落語家を聴け!」(北沢タウンホール)は3月24日、吉笑(二つ目)、笑二(同)、笑笑(前座)の弟子3人とともに武蔵野公会堂(東京都武蔵野市)で開く一門会は2月20日、3月26日の予定。
 立川談笑HP http://www.danshou.jp/ 
 

 

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