政治そのほか速
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JR京都駅南口(八条口)前に11日、自転車を自動で地下に収納できる最新の駐輪場がオープンした。多くの自転車が駅前から姿を消すため、整備した京都市は盗難防止や景観保護につながると期待している。
「機械式地下駐輪場」。同市は南口前に広場を整備中で、敷地を有効活用できるとして採用し、周辺に3か所(計612台)設けた。
利用者が地上の入出庫ブースに自転車を置き、ボタンを押すと、深さ11メートル、直径8メートルの円柱状の地下スペースに自動的に収納される。出庫も平均13秒で行える。
定期利用者向けで、事前に所定のICタグを自転車に取り付けるほか、ICカードも必要で、すでにほぼ満車状態という。
駅前にある駐輪場(674台)は閉鎖し、一時利用のための路上駐輪場(238台)は別に造る。
オープンイベントで入出庫を体験した門川大作市長は「想像以上に早く出し入れできる。地上の駐輪場もなくなり、見栄えも良くなった」と話した。
青竹で作った高さ約7メートル、重さ約2トンの大人みこし13基と、一回り小さな子どもみこし2基が用意され、境内に運び込まれたみこしは、無病息災と豊穣(ほうじょう)を願って、次々と火が放たれた。
境内では、炎と煙が舞う中、青竹がはじける音が威勢良く響き、燃えさかるみこしの周囲を、そろいの長じゅばんと白足袋姿の若衆が駆け回った。
東日本大震災で被災し仮設住宅で暮らす男性が書いた詞に、鯖江市の音楽グループ「一途(いちず)」が曲を付けた歌「団地音頭」が、東北地方の復興を支援する全国コンテストの音楽分野でグランプリに選ばれた。「被災地に力を与え、『新しい東北』を創造する音楽」と評価された。13日に東京都江東区で表彰式が行われる。(渡辺彩香)
◇鯖江の「一途」 仮設住宅の男性が作詞
「一途」は、鈴木幸一さん(45)と弟の洋さん(42)、妹の青木美智子さん(39)のきょうだいで2008年に結成。通販代行業の傍ら、小中学校を中心に各地で公演し、自作の歌でいじめや自殺の防止、夢の実現などを呼びかける。宮城県内の仮設住宅や福祉施設を巡る「東北応援ツアー」も年2回行っている。
コンテストは、官民有志で構成する「エコジャパン官民連携協働推進協議会」の主催で、復興庁が特別後援。4部門に計89件の応募があり、「団地音頭」は音楽19件の最高賞に輝いた。
みんな笑顔で集まって 心ひとつで元気よく こよいひととき楽しもう 踊れ踊れよ輪になって 団地音頭でサアーサ 団地音頭でにぎやかに
明るく前向きな詞にぴったりの軽快なリズム。歌は、3人が12年夏に訪れた石巻市のツアーで、仮設住宅に住む安藤武雄さん(75)と出会ったことがきっかけで、誕生した。
安藤さんが「みんなの心を一つにしたい」との願いを込めて作った詞に3人が共感。「曲、付けてけろ」と頼まれて考えた。洋さんは「復興しようと懸命に生きる彼らの強さを曲に込めた」と言い、完成した歌を13年春のツアーでお披露目した。
歌はその後、石巻市で踊りのグループができるなど広がりを見せている。歌のタイトルが「団地」なのは、仮設住宅を出て団地に移った後も歌い継がれるように、との意味からだ。
もちろん、一途の公演でも「団地音頭」は披露されている。4日に越前市住吉町の恩恵(めぐみ)幼稚園に招かれた3人。「つらい気持ちに負けないぞという歌です」との紹介で音楽が始まると、3人の動きをまねして園児らもジャンプをしたり、手をぐるぐる回したりしながら楽しんだ。
青木さんは「仮設住宅から生まれた希望の歌をもっと多くの人に知ってもらいたい」と望み、幸一さんも「歌が、震災の記憶を心に刻む機会になれば」と話している。
表彰式では、一途と踊りのグループの総勢15人で、受賞作品を披露するという。
空き店舗は、赤やピンク、黄など7色の発光ダイオード(LED)が輝くハート形のオブジェ(高さ2.3メートル)で飾ってムードを演出。来場者は、恋愛に関する願い事や思いをスペース内や周辺の28店で無料で配られるハート形のカードにしたため、大きな木が描かれたパネルに貼る。カードは期間終了後、近くの神社に奉納される。
担当者は「恋愛祈願と同時に、まち歩きを楽しむきっかけにして」と呼びかける。問い合わせは、「まちづくり福井」(0776・30・0330)。
「ALSの疑いがあります」。医師からそう宣告されたのは昨年5月。冬頃から、はしを持とうとしても力が入らないなど、右手の人さし指と中指に違和感があり、病院へ検査を受けに行ったときのことだ。
債務超過だったFC岐阜に資金援助を行った金融事業会社「Jトラスト」(東京)の社員で、岐阜県出身ということもあり、会社からクラブの立て直しを命じられ、4月24日に社長に就任したばかりだった。
スポンサー獲得の企業回りや、イベント企画、クラブ運営の社内会議など、やるべき仕事は数多い。ホームの試合では、必ずスタジアム入り口に立ち、サポーターらを笑顔で迎えた。
8月に精密検査を受け、ALSの診断が確定した。チームを動揺させまいと、病気のことは黙っていた。しかし、書類に判を押すときやページをめくるとき、スタッフの助けが必要になった。名刺交換で不自由を感じたり、話しづらくなったりして、キャンプイン前の1月30日、記者会見で病名を明かした。
心強いのは、家族の存在だ。妻(36)から「余命宣告されたわけでもない。これまで通り、一緒にやっていきましょう」と励まされた。11月には妻と長女(6)、長男(3)が東京から岐阜市に来て、4人で暮らし始めた。
「体が動く限りこの仕事を続けよう」と決めている。1万人を超すサポーターの熱気を肌身で感じるとき、病気のことは忘れられる。「FC岐阜が私に、前を向いて生きる力を与えてくれる」と語る。3月8日に開幕戦を迎えるチームはラモス瑠偉監督(58)のもと、J1昇格を目標に調整中。「超満員のスタジアムで、ファンの皆さんと昇格の喜びを分かち合いたい」と語る。