政治そのほか速
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24日午前1時6分ごろ、長野県で震度4を観測するやや強い地震がありました。震源は長野県北部、深さはごく浅く、地震の規模を示すマグニチュードは3.6と推定されます。この地震による津波の心配はありません。
各地の震度は、震度4が長野県小谷村で、震度3が長野市で観測されています。(24日01:12)
24日午前1時6分ごろ、長野県小谷村で震度4の地震があった。気象庁によると、震源地は長野県北部で、震源の深さはごく浅い。地震の規模はマグニチュード(M)3・6と推定される。
各地の震度は次の通り。
震度4=小谷(長野)▽震度3=長野鬼無里(長野)▽震度2=長野戸隠(長野)など▽震度1=糸魚川(新潟)輪島(石川)長野(長野)など
水俣病と診断されながら国の基準では認定されなかった新潟市などの男女11人が国と新潟県、原因企業の昭和電工に1人当たり1200万円の損害賠償などを求めた新潟水俣病3次訴訟で、新潟地裁(大竹優子裁判長)は23日、原告7人を患者と認定し、昭電に1人330万〜440万円(総額2420万円)の支払いを命じた。国と県の賠償責任については「新潟水俣病が確認された1965年以前に、国や県が阿賀野川での被害発生を認識していたとはいえず、工場排水を規制しなかったことが違法とはいえない」として認めなかった。原告は控訴する方針。
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新潟水俣病の公式確認から半世紀、工場排水を規制しなかった行政の責任は認められなかった。23日に言い渡された新潟水俣病3次訴訟の新潟地裁判決。「患者や死人が出ないと対策を取らなくてもいい、ということか」。感覚障害などの症状に苦しみ、今回初めて患者と認められた原告にも笑顔はなかった。
「国、県に対する請求をいずれも棄却する」。地裁の法廷で主文が言い渡された時、原告のある女性は顔を上げたまま目をつぶり、涙を流した。原告たちは閉廷後もしばらく席を立とうとはしなかった。法廷外に出た支援者は「不当判決」の幕を掲げた。
判決で水俣病と認められた50代男性は「自分が認められたうれしさより、行政の責任が認められなかったことが悔しい」と話した。一方、原告だった亡き父が水俣病と認められなかった50代女性は「私たちはどうしたらいいの」と肩を落とした。
原告弁護団長の高島章弁護士は閉廷後に新潟市内で記者会見。新潟水俣病より9年前の1956年に公式確認された熊本の水俣病で、国などの責任が最高裁で認められたことを引き合いに「第1の過失より第2の過失の方が悪いのは常識だ。高裁で闘うことになるだろう」と語気を強めた。【真野敏幸、柳沢亮、堀祐馬】
政府は23日、戦後70年の安倍晋三首相談話を議論する首相の私的諮問機関「21世紀構想懇談会」(座長・西室泰三日本郵政社長)が13日に開いた第2回会合の議事要旨を、首相官邸ホームページで公表した。先の大戦で日本が侵略を行ったかどうかで意見が割れ、21世紀構想懇の報告書や談話に盛り込むべきかについては結論を見送ったことが分かった。
要旨によると、北岡伸一座長代理(国際大学長)が冒頭、「日本は無謀な戦争でアジアを中心に多くの犠牲者を出した。1930年代後半から植民地支配が過酷化した。政府、軍の指導者の責任は重い」と意見表明。「日本がアジア解放のために戦ったというのは誤りだ」と述べた。北岡氏は会合当日、「歴史学的にはもちろん侵略だ」と発言したと記者団に明かしている。
続いて委員以外の有識者として出席した奥脇直也・東大名誉教授が、国際法の観点から意見表明。侵略の定義について「今なお国際社会が完全に一致点を見いだしたとは言えない」と説明した。
その後の各委員の発言は匿名で記載され、約半数が侵略に言及。「日本は自衛のための判断を間違えた。当時の価値観から見ても侵略だった」「歴史的、政治的な面から、侵略的な側面は認めざるを得ない」などの発言があった。一方では「定義が曖昧で、歴史家の中で異論がある」「侵略という言葉を使用するのは問題を帯びる」などの慎重論も出た。【木下訓明】
【2015年03月24日 01時09分 気象庁発表】
気象庁によると24日 午前1時06分ごろ、長野県北部でM3.6の地震が発生し、長野県小谷村で震度4の揺れを観測した。
この地震の震源地は長野県北部で、震源の深さはごく浅い。この地震による津波の心配はない。
各地の主な震度は以下のとおり。
【震度4】
長野県
小谷村
【震度3】
長野県
長野市
【震度2】
長野県
白馬村、小川村
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