政治そのほか速
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
異国エジプトで、ダブルワークならぬトリプルワークをこなす”おろぐちともこ”が、仕事や現地生活をマンガとコラムでご紹介。ピラミッドだけじゃないエジプトをお楽しみください。(毎週火曜更新予定)
【「USP」って何だ!?】
ある日の職場でのこと。同僚の女性が困った顔をしています。
「日本のオフィスに英語でメールしたんだけど、向こうに言いたいことが伝わっていないみたい…」
エジプト人の同僚たちは普段アラビア語で会話をし、メールのやり取りなどの仕事は英語で行います。英語のネイティブじゃないから間違えたのでは? とも思ったのですが、彼女はアラビア語・英語・ドイツ語を操るトリリンガル。仕事もバリバリこなすキャリアウーマンな彼女の英文メールが伝わらない…?
不思議に思い、返信メールを見たら「『USP』って何ですか?」という質問が。「USP」、何かの略語かな…? 私の頭の中に浮かぶ「??????」の文字。心当たりがありません。「USP」って何だろう…?
考えこんでいた最中、「!」と突然のひらめきが。
「もしかしてUSPじゃなくて、USB??」と同僚に聞くと、「そうよ。USBメモリー。だからUS…あ!」と言って、顔を赤らめる彼女。そう、彼女は「USB」と書くところを「USP」とスペルミスしていたのです。
実はこの勘違い、エジプト人であれば仕方がないといえる間違いかもしれません。
なぜならエジプト人が使うアラビア語には、「P」の音を表すアルファベットがないから。英語などの外来語をアラビア語で表記する時は、「P」のかわりに「B」の文字で代用しますし、話すときにも「P」の音を「B」と発音する人が多いのです。
例えば「プリーズ」は「ブリーズ」、「クレオパトラ」は「クレオバトラ」に。クレオバトラ…何か強そう…。日本人が「L」と「R」の発音の違いが苦手なように、エジプト人にも苦手な発音があるんですね。
英語が得意な彼女は「P」と「B」の違いを意識しすぎるあまり、うっかり「B」のままでいいものを「P」だと勘違いしていたよう。「USPメモリー」、新しい響きです。
「だから伝わらなかったのね! 恥ずかしいわ~」と照れる同僚。「完璧なキャリアウーマン」と思っていた彼女のちょっとした勘違いが何ともかわいらしくて、心がほっこりしました。
「チプシー」という名のポテトチップスですが、「チブシー」と言っているように聞こえます
おろぐちともこ
大学で古代エジプト史を専攻し、2011年よりカイロ在住。日々、エジプト人観察に励む。
現在はWebやエジプト人による日本語雑誌の漫画を執筆したり、デジタルアシスタントをしたりと、国境を越えて活動中。至上の喜びは、素敵なカフェで水タバコの煙をゆらしながらぼけっとお茶をすること。生活記Blogつぶえじでは、現地の生活の様子を不定期に発信している。
いまはITと無縁の地場産業と、ウエアラブルコンピューティングがいずれ良好なパートナーになるかもしれない。「グーグル・グラス」に代表されるメガネ型のデバイスに必要な部品がフレームだ。メガネフレームの地場産業はテクノロジーの進化に貢献していけるのだろうか?
メガネフレーム国内シェア95%の町
[写真]SBMの実証実験(提供:SBM)
福井県鯖江市。福井市に境を接する人口約6万7000人のこの町は、メガネの町としてその名が知れ渡っている。メガネフレームの国内シェアは95.9%、世界シェアで20%を占める。2008年のアメリカ大統領選挙で、共和党の副大統領候だったサラ・ペイリン氏が掛けていたメガネが鯖江産だったということで、テレビなどで大きな話題になったことは記憶に新しい。
鯖江市のメガネ作りは、1905年(明治38年)に始まった。雪国の地で農閑期に農家の副業として広まったと言われる。2012年現在、事業所数は207か所あり、従業者は4212人。作られたフレームやレンズは主にアメリカや香港、中国に輸出される。世界に誇る福井県の代表的な地場産業であるものの、「海外製品との価格競争などで産地は厳しい状態にある」というのが行政の認識だ。
こうした背景もあり、福井県庁は昨年、この地の産業とITのキーワードである「ウエアラブル」に注目。同デバイスの関連企業の誘致や産業育成支援に乗り出した。そのうちウエアラブル端末の実証実験などに50万円を助成するという事業では、観光支援アプリのデモを行っていたソフトバンクモバイルが、ウェアラブルを活用して博物館のガイドを実現するという企画案を提案した。
恐竜博物館でのウエアラブル実証実験
[写真]SBMの実証実験(提供:SBM)
この案は公募を通じて採択され、今年1月、同県勝山市にある県立恐竜博物館でウエアラブル機器を用いた実証実験が行われた。
勝山市は、国内でも有数の恐竜化石の産地で、肉食竜のカギ爪や足あとの化石が発掘されており、調査研究や地域振興を目的として、2000年に恐竜博物館が開館した。世界三大恐竜博物館とも言われ、2014年8月には入館者600万人を達成している。
[写真]グーグル・グラスに映し出される画面(提供:SBM)
同博物館で、ソフトバンクモバイルが実験したのは、グーグルのメガネ型端末である「グーグル・グラス」とソニーのスマートウォッチを使った館内の展示案内だ。恐竜骨格7か所の前に来場者を検知するセンサーを設置した。来場者が展示物に近づくと、これを検知したセンサーが信号を発信する。信号を受信したグーグル・グラスにマスコットキャラクターの映像が映しだされ、恐竜を捕獲するよう指示が出る。来場者がグーグル・グラスのカメラで骨格を捉えると「捕獲」したことになり、その恐竜の説明が音声でされるといった具合だ。
[写真]SBMの実証実験。スマートウォッチを使っても行われた(提供:SBM)
センサーにはBluetooth技術を使ったiBeaconを、骨格の立体物認識技術にNECのGAZIRUを使用した。それぞれの機器が想定したように機能するかを実証するのがこの実験の目的だ。センサーを設置する場所が手すりなのかベンチなのか、センサーからの信号を受信するのがメガネなのか時計なのかで、それぞれの高さが違ってくる。高さが違うと電波の届き方が変わってくる。
また、展示物の前を通過する人物のスピードは場所によって違う。適切な電波強度がどれくらいなのかを計測する意味があった。実験を担当した同社商品戦略推進部の小沢元氏は「今回の実験は小規模だったが、グーグル・グラスのようなハイパワーでない機器でも、高度な処理が実現できた意味は大きかった」と評価した。
実験では100人近い一般の来場者がグーグル・グラスやスマートウォッチを身に付けて展示を体験。多くは、初めて使う人たちだったが、「アミューズメントパークのような経験ができて楽しかった」と感想を話していたという。
小沢氏は「特にこうしたアミューズメント体験において、メガネ型の端末は、つけ心地、つまり装着感が大事だ。スマートフォンが持ちやすさを評価されるのと同じことで、技術とフレームが融合していくことは重要な要素だ」と力説する。
IT技術とメガネフレームは融合できるか?
[写真] 西山公園から見える鯖江市(アフロ)
IT技術とメガネフレームの融合──。鯖江市神明町のメガネ小売「GANKYO」の田中幹也社長は「技術とメガネフレームのノウハウがぶつかり合うところが『重さ』だ。デバイスをフレームに乗せると重量は20gを軽く超える。これを解決してくのが今後の課題」と指摘する。
田中社長は、心地よくかけられるメガネのフレームの重さは20gが限度ではないかと考えている。バッテリーの重量が40gもあると、それだけで、かけ心地が大きく損なわれる。フレームに搭載する機能が増えれば増えるほど、全体の重量は増す。カメラを前に付ければ、当然重さは前方にくる。フレームはこの重さを逃してやるような構造にしないといけない。
重量増は不可避なのだから、バッテリーの形状を変えたり、後方にバッテリーを配置するなどして、重量バランスが重要なカギを握る。そうした工夫を盛り込んだメガネフレームを新しく作ることになる。この町の人たちは、メガネを快適に装着するためのノウハウを一番よく知っている。
ただ、フレーム作りにいろんなノウハウがあって、理想的なフレームが作れたとしても不安は残る。メーカーがデザインだけを鯖江に任せ、量産拠点を海外に置くかもしれないからだ。それでは地元は面白くない。グローバルなメーカーに対する交渉を地方の中小企業1社でやるには限界があるだろう。
田中社長は「鯖江のメガネ作りは、デザイン、製造、販売などと分業が進んでいる。デザインから販売までを視野に入れ、これらの分業がうまくリンクさせていくことが大事だ。メーカーのニーズを受け入れる窓口として小売が機能していくことも考えていかなければならない」と話す。
同県では、ウエアラブルをテーマにした講演やワークショップが開かれるようになってきた。県や市が主催するシンポジウムもある。地元メディアも「ウエアラブル先進県としての地位を築いてほしい」と期待を寄せる。その一方で、研究開発費を予算に組める事業所は多くないという現実もある。
伝統的な地場産業が新しい未来を切り拓いていくためには、地元事業者の努力だけでなく、理解あるデバイスメーカーとの協働、そして行政などの支援、これらの結束が必要とされているということだろう。
メガネが視力補正の道具以上のモノになる可能性があるには違いない。どうすれば今の地場産業から新しい産業を創出できるのか、その模索はまだ始まったばかりだ。
本記事は「THE PAGE」から提供を受けております。
著作権は提供各社に帰属します。
いまや小型中型の実用車のほとんどがFFレイアウトだ。いまさら説明する必要もないかもしれないが、「FF」とはフロントエンジン、フロントドライブのことだ。
エンジンは一般的にフロントに横置きされ、前輪にオーバーハングして搭載される。エンジンと隣合わせに置かれたトランスミッションによって減速された出力は、トランスミッションに組み込まれたデファレンシャルギアで2分割され、ドライブシャフトを介してタイヤへ伝えられる。フロントタイヤは当然のごとく、舵を切る役割も与えられているから、クルマの仕事のほとんどは前輪が行うことになる。ざっくり言えば、駆動も舵とりも前輪が行う。言ってみればリアタイヤはただ転がってくれさえすればいいことになる。
実はFF車のポテンシャルのキーはリアタイヤのグリップが握っているのだ。しかしそれが分かるのはずっと後のことだ。
日本初のFF車は1955年の「スズライト」
[写真]1955年に、国産初のFF車として登場したスズライトは、スズキ自動車初の4輪車でもある
日本で最初のFF車は1955年にデビューしたスズキの軽自動車、スズライトだ。小型車にとってパッケージ効率を高めることは万国共通で重要だ。ところがFF車の場合、舵を切る都合上、動力を伝えながらタイヤを動かさなければならない。これを無理なく実現できる等速ジョイントが発明されるまではFFはかなりハードルの高いメカニズムだった。
後にホンダがN360やライフと言った軽自動車でFFを普及させるが、それらの継ぎ手はユニバーサルジョイントで、たった31馬力の力を伝えるだけで3000キロ毎のオーバーホールが必要と言う手間のかかるものだった。
継ぎ手の問題点はいくつかある。前述の耐久性も大きな問題だが、もうひとつの重大な欠点があった。動力を伝えながら舵を切る角度が大きくなる ── つまり舵角が大きくなると、シャフトが1回転回る途中で速度の不均衡が出るのだ。これが振動となってステアリングにキックバックを与える。
当時のクルマにはパワステなどというものはないから、振動でハンドルが急に重くなったり軽くなったりする。これに左右のシャフトの角度差によって、アクセルを踏んだ途端勝手にハンドルが回ろうとするトルクステアが加わる。つまり舵を切った状態 ── コーナーリング中に、ステアリング系が勝手にじたばたして挙動が不安定になるわけだ。
そのため当時の小型車は、RR(リアエンジン、リアドライブ)派とFF派に分かれ、時代を遡れば遡るほどRRが優勢だった。量産車でFFのジョイントの問題を最初に解決したのはBMC(後のローバー)ミニだ。それまでのユニバーサルジョイントに代わって、複数のボールベアリングを介して動力を伝える等速ジョイント(ツェッパジョイント)を採用したことによって、FF車の新時代を拓いた。
ミニはこれ以外にも横置きFFによるコンパクトなレイアウトを構築したことでも自動車史に多大な貢献を残した。ミニのパワートレインはエンジンがミッションの上に乗る二階建て方式(イシゴニス式)レイアウトだったが、フィアット128でエンジンとミッションを隣合わせに並べるジアコーサ式レイアウトが考案され、この2台の傑作車が現在のFF乗用車の源流になっていくのだ。
軽視されていた後輪のグリップ
こうして前輪にまつわる諸問題が解決したことにより、FFの時代が始まるのだが、次なる課題はリアサスペンションだった。初期のFFは前述の通り「ただ、タイヤがついていればいい」という考えでリアサスペンションが設計されていた。しかし、パワートレーンの全てがフロントに依存するため、元々前後の重量配分が悪く、後輪のグリップは極めて失われやすいという欠点がFF車には潜んでいたのだ。
元来がパッケージ効率を高めるために採用されたFF方式なので、メカニズムは出来る限り車両前端にまとめたい。それはすなわち、前荷重が限りなく増大する方向である。幾度となく書いているように、タイヤのグリップは垂直荷重に概ね比例する。だからFFはリアタイヤにかかる重量が足りないことによってグリップが足りなくなる要素が揃っている。
この状態でブレーキをかけると、荷重はさらにフロントに寄り、リアタイヤのグリップが失われて前輪を軸にスピンモードに入る「タックイン」という現象が起きる。路面が下り勾配であったりすればなおさらだ。タックインから回復するのはドライバーに高い技量が求められる。クルマの方向安定性が失われてしまっているので、普通のドライバーはコントロール不能になってしまうのだ。
対してフロントは垂直荷重は常に十分に足りているから、グリップが失われるとしたら、タイヤのグリップが遠心力に負けてドリフトアウトする場合だけだと言っていい。これはいわゆるアンダーステア状態で、別の言い方をすれば安定し過ぎて曲がらない状態である。よほどコーナーへのアプローチ速度が間違っていない限り、滑りながら速度が落ちて行けばタイヤのグリップが回復するのでタックインよりずっと危険が少ない。
つまり、FFを安全な乗用車に仕立てるためにはどうやってタックインを抑え込むかに掛っているのである。
初期はトレーリングアーム式が主流
[写真]トレーリングアーム式。初代バラードのリアサスペンション上面図。タイヤの前方に設けられた1点の揺動軸から後方に伸びるアームの先にタイヤが取り付けられている
初期のFF車はリアサスペンションの重要性をエンジニアリング的に消化していなかった。そのため「トレーリングアーム式」の簡易なサスペンション形式が多数派を占めた。トレーリングアーム式の図を見てみて欲しい。車両の前後方向に向いたスイングアームの先にタイヤが取り付けられている。
理想を言えばサスペンションアームは長い方が良い。しかし長いとしなりやすく、アームを曲げる方向の剛性を維持するのが難しい。このタイプのサスペンションはコーナリング中に、ある一定までは踏ん張るが、タイヤのグリップが限界に達すると、そこまでアームを曲げていた力が解放されるため、曲げられていたばね鋼が跳ねるように一気にグリップを失う。専門的にはファイナル・ブレーク・アウェイと呼ばれる現象だ。この状態に陥ると車両は突然スピンモードに入る。タイヤやサスペンションの限界が低ければ変化も大したことはないが、性能を上げれば上げるほどしっぺ返しが強烈になってしまう。
ワンダーシビックのビームアクスル式
[写真]ビームアクスル式。初代CR-Xのリアサスペンション。左右を適度に関連させながら、サスペンションそのものに構造的位置決めをさせるため、シャシーへの依存性が低い
そこで、1980年代に入るとリアサスペンションの能力アップへのトライが始まる。おそらくその先駆けとなったのが、ワンダーシビック/CR-Xの「ビームアクスル式」だろう。構造的に見ると、このサスペンションは左右のトレーリングアームを車軸近辺で太いパイプでつないだものだ。トレーリングアーム式の弱点である横剛性を改善した方式だと言える。
ただ左右をつなぐだけだと片側のタイヤに入力があった時に両側のタイヤが一緒に動いてしまうので、右側ハブにスウェイベアリングを組み込んで2本のトレーリングアームとアクスルビームの間を剛結しないようにしてある。これによってサスペンション全体がひしゃげるように片側だけを可動にできるわけだ。左右輪は相対的にキャンバーが固定されており、サスペンション全体はボディに対してパナールロッドという連結棒でつないで横方向の位置決めがされている。縦方向の位置決めはトレーリングアームが担う。
当時のクルマはまだボディの剛性が根本的に足りなかったため、この左右輪が相対的に一体になった方式は大きな意味を持っていた。実際ワンダーシビックは、かなり意図的にタックインを起こそうとしてもリアタイヤがブレークするようなことは起きなかった。リアタイヤの問題の一応の解決をみたと言っていいだろう。
より高性能なダブルウィッシュボーン式
[写真]ダブルウィッシュボーン式(変形)。3代目アコードのリアサスペンション。スペースの問題に工夫を凝らしている。ハブキャリアの一部を上方へ伸ばして、タイヤの上でアッパーアームと連結する。アッパーアームの長さを取りながらシャシー側への食い込みスペースを減らし、上下アームの取り付けスパンを広く採る設計
その後、コンピューター解析技術が進歩してシャシーの剛性が上がるにつれ、サスペンションを左右独立にしても成立させることが可能になっていく。そうなればより高性能を求めたくなる。ビームアクスルでは、ばね下重量が大きい上、地面に対するタイヤのキャンバー(対地キャンバー)は固定で変えられない。これをより理想的にしていくために、「ダブルウィッシュボーン」が採用されるようになる。
ダブルウィッシュボーンの基本的な特徴は、サスペンション単体での剛性が高いことにある。また、上下のリンクの設計を上手に行えば、他のサスペンション形式に比べ、車体がロールしても地面に対してタイヤを垂直に近い理想的な角度で保つことができる。タイヤをより上手に使えるのだ。
ただし、その前提としてサスペンションをマウントするボディの剛性が高いことが求められる。ボディの方がぐにゃぐにゃと変形してしまうと、サスペンションをいかに緻密に制御しても意味がないからだ。そういう意味で、ダブルウィッシュボーンはコストの高いサスペンションだ。シャシーへの要求、部品点数の多さ、開発の手間の多さがコスト高を呼ぶのだ。
バブルがはじけると、メーカーはこのリアサスペンションがオーバークオリティであるとの判断を下し始める。スポーツカーでもない乗用車にそこまでの高性能なサスペンションは必要ないと言う判断だ。さらにダブルウィッシュボーンはどうしてもスペース効率が悪い。ワゴンやミニバンが売れ始め、車内空間の増大が求められていく中で、リアサスペンションのコストダウンと、小型化の重要度が急速に増していく。
小型化需要でカップルドビーム式
[写真]カップルドビーム式。CR-ZのH型アームを使った典型的なカップルドビーム・サスペンション。左右を連結するビームの剛性を低めに取っていることが板厚からも見てとれる
そこで考案されたのが「カップルドビーム方式」だ。考え方としてはビームアクスルに近いが、より簡素な仕組みだ。左右のトレーリングアームの間につっかい棒を渡し、これを溶接してしまう。ビームアクスルでは左右の自由度をスウェイベアリングで確保していたが、もっとシンプルにつっかい棒のねじれで辻褄を合せることにした。左右のアームの中間をつなぐH字型のアームの横棒の剛性を意図的に落とすことで、左右の独立性を持たせたのである。
このサスペンションのメリットは安価なこと、そして非常に薄型なことである。ダンパーとスプリングを別にすれば床下だけでレイアウトが解決できてしまうのだ。現在では多くのクルマがこのカップルドビームを採用しているが、ここ最近、新たな動きが出始めた。スポーツ志向のクルマが増え始めたことで、リアサスペンションの重要性に再度スポットライトが当たり始めたのだ。現在のところその行き先はどうも再びダブルウィッシュボーンに向かっているように思える。
FF車のリアサスペンションはその性能をどこに置くか、技術の進歩とクルマに求められる特性によって、行ったり来たりを繰り返しているように思える。あまり注目されることが少ないFF車のリアサスペンションだが、こうした流れを頭に置いて、眺めて行くとなかなかに興味深いのである。
(池田直渡・モータージャーナル)
本記事は「THE PAGE」から提供を受けております。
著作権は提供各社に帰属します。
[写真]満開となった河津桜(撮影、林直樹)
早咲きの桜として知られる静岡県河津町の河津桜が満開となり、多くの観光客が淡紅色の景色を楽しんだ。今週から来週にかけて見ごろが続くと予想されている。
[写真]満開となった河津桜(撮影、林直樹)
河津桜は、早咲きのオオシマザクラ系とヒカンザクラ系の自然交配種と考えられており、1975年に河津町の木に指定されている。
本記事は「THE PAGE」から提供を受けております。
著作権は提供各社に帰属します。
Copyright (C) Kuni Takahashi. All Rights Reserved.
大都市で道路の拡張やインフラ整備のために土地が必要になると、まずターゲットになるのが、空き地に住み着いた人々によってつくられた「違法」居住区だ。住民への補償などほとんど必要ないし、家屋も質素なものが多いので、ブルドーザーによってあっという間に「のされて」しまう。
数日前にそんな解体の憂き目にあった首都デリーの一角。残された瓦礫の山を歩きながら、住人たちがレンガを集めていた。何処になるかはわからないが、次に家を建てるときに使うためだという。敷地の脇では、公衆トイレの残骸となった鉄筋をつかった即席ブランコで、子供達が屈託もない笑い声をあげている。
Copyright (C) Kuni Takahashi. All Rights Reserved.
インドの並々ならぬ貧困は、一般的に農村部にいくほどひどくなる。そんな田舎から仕事を求めて都市部になだれ込んでくる人々は後を断つことがないが、まともな家賃など払えない彼らの多くには、空き地の違法占拠しか住処を得る術がない。
そんな都市流入者たちと違法住居の解体は、終わることのないいたちごっこだ。
(2013年4月)
—————-
高橋邦典 フォトジャーナリスト
宮城県仙台市生まれ。1990年に渡米。米新聞社でフォトグラファーとして勤務後、2009年よりフリーランスとしてインドに拠点を移す。アフガニスタン、イラク、リベリア、リビアなどの紛争地を取材。著書に「ぼくの見た戦争_2003年イラク」、「『あの日』のこと」(いずれもポプラ社)、「フレームズ・オブ・ライフ」(長崎出版)などがある。ワールド・プレス・フォト、POYiをはじめとして、受賞多数。
Copyright (C) Kuni Takahashi. All Rights Reserved.
本記事は「THE PAGE」から提供を受けております。
著作権は提供各社に帰属します。