政治そのほか速
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鹿児島県警は17日、それぞれ部下にパワーハラスメントを行ったとして、日置署の巡査部長(51)を懲戒処分の戒告、県警生活安全企画課の警部(56)を所属長訓戒とする処分を行った。
2人は同日付で依願退職した。
発表によると、巡査部長は2008年4月頃~今年8月頃の約6年4か月の間、前任地と同署で、計7人の部下に対し、再三、「使い物にならない」「仕事ができないのに口をきくな」などと暴言を浴びせたり、頭を手で叩いたりした。
警部は日置署次長だった昨年3月~今年3月の間、部下2人に対し、複数回、「バカにつける薬はない」などと暴言を浴びせた。
被害者の9人のうち2人は、パワハラを一因として退職している。
巡査部長と警部は県警の調査に対して事実関係を認めており、「文句を言われなかったからやった」「指導の一環だった」などと説明しているという。
厚生労働省は15日、医薬食品局食品安全部の男性課長が、部下の男性職員を萎縮させるような発言をした後、肩を強くつかんで頸椎(けいつい)捻挫のけが(全治約3週間)を負わせたとして、減給10分の1(1か月)の懲戒処分にしたと発表した。
監督責任として同部部長も文書で厳重注意した。
同省人事課によると、課長は先月20日夕方、部下らと打ち合わせをした後、帰り際に職員の後ろから肩をつかんだ。「『しっかりしろよ』という気合を入れる意味だった」などと説明しているという。
トヨタ自動車で、技術系として初の部長級の女性社員が誕生することになった。
19日、高級車ブランド「レクサス」の開発責任者、加古慈(かこ・ちか)主査を来年1月1日付で基幹職1級(部長級に相当)の「チーフエンジニア」に充てる人事を発表した。
加古氏は1989年入社。レクサスの小型車「CT200h」などの開発を担当してきた実績が評価された。事務系では基幹職1級の女性社員は2人いる。
テディベアの世界的なブランドで130余年の歴史を持つドイツの「シュタイフ」社は、2014年を「日本のシュタイフ元年」と位置付けている。
東京・表参道に1月、テディベアや子供服を扱う日本で初めてのトータルブティック「シュタイフ青山」を開業し、2月には「スーパーGT」レースのBMWチームのメーンスポンサーに決まった。来日した同社CEOのダニエル・バートさんは、「ブランドの成長のために新しいことにも挑戦する。日本でもより幅広い層にシュタイフの良さを知っていただきたい」と語る。
当社は「子どもたちには最高のものこそ、ふさわしい」との創業者マルガレーテ・シュタイフの思いを100年以上にわたって受け継いでモノづくりをしています。
シュタイフのテディベアはすべてマイスターと呼ばれる職人たちの手で作っています。同じ品番の製品でも少しずつ表情が異なり、全く同じ顔立ちのものはありません。高密度の縫い目で作られており、とても丈夫です。
ドイツでは、子供が生まれた時に父母がテディベアをプレゼントする習慣があります。シュタイフのテディベアは、生まれた時から子供たちの人生のパートナーとなり、何世代にもわたって受け継いでいくことができるのです。
また、世界初となる商標登録のシュタイフ社のトレードマーク「ボタン・イン・イヤー」は、今年で110年を迎えます。
日本で初めて1月にオープンしたシュタイフのトータルブティック「シュタイフ青山」では、テディベアなどの動物のぬいぐるみから子供服まで、シュタイフのすべての商品を集めています。シュタイフの子供服はテディベアと同じようにすべて高品質で、ドイツで人気がありますから、これから本格展開する日本でも多くの方に良さを知ってもらえればと思います。
人気の自動車レース、「スーパーGT」のBMWチームのメーンスポンサーに当社が決まりました。マシンのフロントボンネットにもシュタイフのロゴが描かれています。かわいいだけでなく、ブランドの持つスタイリッシュな部分も打ち出します。BMWもドイツの伝統のある企業で高い品質のモノづくりを目指しており、お互いの持つ価値をさらに高め合えると考えています。
私自身は大学でマーケティングとファイナンスを学び、これまでにさまざまなブランドで仕事をしましたが、シュタイフは特別なブランドです。シュタイフは、ドイツの文化を創っています。どんな人と話をしていても、シュタイフの話になると、目がきらきらと輝き出すのです。子供から大人まですべての人に喜びを与えることができるブランドです。そんな特別感を抱くブランドであることを誇りに、毎日とても楽しく仕事をしています。
ブランドの歴史を守り、成長するには、将来を見据えて新しいことに挑戦しなければなりません。歴史のある会社の社長の仕事は、毎日がチャレンジの連続なのです。
<夜の繁華街回り>
大学1年の時に高校の同級生と結婚し、2年生で子供ができました。生活費を稼ぐため、飲食店の皿洗いなど約30種類のアルバイトを経験した大学生活でした。
葉タバコの産地だった神奈川県秦野市で生まれ、タバコ畑で遊んで育ち、親しみがありました。ただ、入社の動機は日本専売公社の民営化議論です。ダイナミックに変わる組織に身を置きたいという気持ちです。
民営化は27歳の時で、同時に営業担当に。顧客の大半はたばこ店ですから、営業は基本的に日中に客を訪ねます。
しかし、私の仕事は当時新設された夜の営業でした。民営化に伴い、収益を増やさなくてはならないということで新たな顧客の開拓が求められたのです。東京の赤坂や銀座、六本木周辺の喫茶店やジャン荘、キャバレーやクラブにお客さん用のたばこを買い置きしてもらおうと、午後3時から夜9時頃まで、1日20~30件、片っ端から回りました。
しかし、当時は違法販売の取り締まりもしていた専売公社のイメージが強く、「よく来た」と言ってくれる人はいません。マスターやママさんから「役所の世話にはならないわよ」と、水や塩をまかれたことも。お店にとり、たばこはお酒と違い自分たちの商品ではなく、お店が自分で買って置いておけばいいですから。
それでも足しげく通い、顧客のお店で小瓶のビールを自腹を切って飲んだり、客向けのビンゴゲーム大会に景品のたばこを抱えて司会をかって出たりしているうちに、10軒に1軒くらい「おまえもかわいいな」とか言ってくれるマスターも出てきて、販売先は次第に広がっていきました。
<道交法違反で聴取>
販売戦略を担当する部署で初めてチームリーダーになった時には、全国の営業拠点に号令をかけ、たばこの自動販売機を一気に増やしました。
ところがある日、警察から私が呼び出されたのです。各地で増やした自販機が公道にはみ出していることが多く、道路交通法違反の疑いで事情聴取されました。
違法なのは間違いなく、各営業拠点に改善をお願いしなくてはならなくなりました。会社には朝から晩まで、私宛てに現場の担当やたばこ店からの問い合わせが殺到。お店には、急きょ開発した薄型の自販機に取り換えてもらったほか、シャッターをくりぬいて敷地内に収納してもらったところもありました。無理な場合は撤去を求めました。
各地の営業所を回ると、「お前が設置しろと指示したんじゃないか」「朝令暮改だ」と非難ごうごうです。「売り上げが減るのでは」と不安がる取引先もいて、ひたすら頭を下げる日々が3か月続きました。つらい思い出です。
国内のたばこ市場は縮小しているため、海外のたばこ大手を買収したほか、工場閉鎖などのリストラも行っています。次の世代に美田美風を残したと思われるよう努めていきたいと思います。(聞き手 小野卓哉)
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《メモ》 1981年東大経卒、日本専売公社入社。「箱根駅伝」の大ファンで、毎年沿道で応援するほか、放送は録画して毎週のように見ている。
同公社は85年4月に民営化されて日本たばこ産業株式会社(JT)になった。国内のたばこ工場は80年代には35か所あったが、JTは2016年3月までに5か所に集約する方針だ。JTの14年3月期の連結売上高に占める海外の割合は52.9%に達している。