政治そのほか速
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◇吹田の女性 交流願い活動
東日本大震災で被災した宮城県東松島市の小野駅前仮設住宅で生まれたキャラクターがいる。住宅の入居者が靴下と綿を材料に猿をモチーフにして手作りしたかわいらしい姿が人気の「おのくん」だ。この愛らしいキャラクターの「里親」を増やす世話人として吹田市の看護師、半崎智恵美さん(59)が活動を続けている。
おのくんは、震災後の2012年4月に誕生した。各地の人がおのくんの里親になり、一緒に東松島市に「里帰り」してもらうことで、同市との交流を絶やさないという願いが込められている。
阪神大震災の時はボランティア活動に参加した半崎さんも、東北までは距離が遠くなかなか行けない。「自分にできることはないか」。そんな時、知人からおのくんの存在を聞き、そこに込められた思いに共感。吹田市内の復興支援イベントにおのくんを連れていき、これまでに約420の里親を見つけた。
半崎さんは「時間とともに被災地への関心が薄れていってしまうのを感じる。おのくんを通じて人と人とをつなぎ、忘れない助けになりたい」と願っている。
昨年初めて韓国に渡り、同国内を移動していた豊岡生まれのコウノトリの雌「ポンスニ」が9日、最初の飛来地、金海(キメ)の花浦川湿地付近に戻って来た。初飛来の日から約1年ぶりに再び姿を現したことに、現地の関係者は「初めての土地を覚えていてくれて、うれしい」と喜んでいる。
ポンスニは、昨年3月18日に同湿地に初飛来した後、半年ほど居続けた。同10月に約100キロ西の河東郡へ移動し、今年1月には同郡から約250キロ北西の瑞山市へ向かった。瑞山市では野生のコウノトリや韓国の飼育施設から逃げたコウノトリと一緒に行動していた。
今月9日、花浦川湿地を見学していた韓国南部の別の湿地公園の職員らが「近くでコウノトリを見た」と花浦川湿地公園生態学習館の郭承國(クァクスングク)館長に伝えた。郭館長が慶尚南道ラムサール環境財団職員の李贊雨(イチャヌ)さんと探したところ、ポンスニが以前よくいた高圧鉄塔に止まっていたという。
同湿地は、今月3日頃までポンスニがいた瑞山市より緯度が低い。李さんは「一緒にいたコウノトリが越冬を終えて北へ帰ったのに、ポンスニだけ戻ってきたのは、ここが快適だからだろう。ポンスニの古里・豊岡市との交流を活発にし、人間と共存できる環境作りを進めたい」と話した。
◇大阪・西区の雑貨販売会社が支援
東日本大震災は、11日で発生から4年を迎えた。全国各地に復興支援の輪が広がるなか、震災をきっかけに大阪市西区の雑貨販売会社が始めたチャリティープロジェクトで、編み物技術を身につけた被災地の女性らがニット製品を販売する会社を設立し、活動拠点となる店「東北クロッシェ」を10日、岩手県遠野市内にオープンさせた。関係者は「東北発のブランドになっていけるよう頑張りたい」とオリジナル商品の販売も目指す。(斎藤七月)
プロジェクトに取り組んできたのは、フェアトレード(公正貿易)商品の販売会社「福市」(高津玉枝社長)。同社はカンボジアやブラジルの人々に現地で雑貨を作ってもらい、適正価格で仕入れて百貨店などで販売している。
「手仕事で収入を得ることで誇りを感じる生産者は多い」と話す高津社長。こうした経験を踏まえ、「東日本大震災の被災者にとって、手仕事が心の支えになれば」とプロジェクトを発案した。毛糸とかぎ針さえあれば、手編み製品は作れることから、被災地の女性に毛糸のアクセサリーを作ってもらい、それを買い取って販売する取り組みを2011年5月に始めた。
これまで被災地の女性約200人が参加した。多くが津波で家族や家を失っており、活動当初は「なんで生き残ったのか」と涙ながらに話す人もいた。仮設住宅や集会所に集まり、製作を重ねることで心癒やされた人も多いという。津波で自宅が全壊した岩手県宮古市の主婦伊藤文子さん(55)は「一人でいると暗いことを考えがちだが、仕事があることで気持ちを切り替えられた。手仕事に救われた」と話す。
女性たちは、プロのニットデザイナーがデザインしたブローチなどのアクセサリーを製作。百貨店などで販売し、6600万円以上を売り上げた。その半分は女性たちのグループに渡された。昨夏には培った編み物技術を生かそうと、女性の有志らが合同会社「東北クロッシェ村」(佐々木盛子代表)を設立し、店のオープンにこぎ着けた。
福市は、今後もオリジナル商品の開発などの手伝いをするといい、高津社長は「支援から、自立につながるよう編み物が産業として栄えるとうれしい。東北の女性たちの丁寧な仕事ぶりを知ってもらえる商品を届けたい」と話している。
◇20代当主、目録作成 宇陀で公開
宇陀市大宇陀にある重要文化財・片岡家住宅に伝わる古文書約1万1000点を、同家20代目当主の片岡彦左衛門さん(88)が10年前から分類し、目録を作成した。その成果を基に、古文書の一部を公開する展覧会「片岡家文書の世界」が13日、同市文化会館で始まる。彦左衛門さんは「研究者や市民が地域の歴史を深く知るきっかけになれば」と願っている。(岡田英也)
片岡家は江戸時代初期から大宇陀地域の九つの集落を治めた大庄屋で、年貢の課税や代官所の通達などを知らせる「役所」としての役割を明治まで果たした。同住宅の蔵には室町時代から近現代まで500年間の文書が残っている。
特定郵便局長を引退した彦左衛門さんは10年前、「先祖がどのような暮らしや仕事をしてきたのか知りたい」と思い立ち、毎日蔵に入って5、6時間をかけて古文書の年代や内容のリスト化を進めた。虫食いなど劣化した文書もあり、修復しながら、参考書を手に独学で読み込んだ。
2012年からは市教委などが彦左衛門さんの目録に基づき、内容の確認や写真撮影など本格的な調査を進めた。戸籍や年貢関連など行政文書が大半を占めるが、豊臣秀吉が行った太閤検地の帳面や、江戸後期に大坂で起こった大塩平八郎の乱に関する通達に返信した「請書(うけがき)」もあった。
彦左衛門さんが最も印象に残っているのは、生活が苦しかった農民から女児を片岡家が引き取ったことを示す江戸中期の文書。年頃になった女児を「片岡家の娘」として嫁入りさせた内容が記されていた。
彦左衛門さんは「使用人ではなく、家族の一員として迎えたのだろう。困った人のために損得を言わなかった祖先の姿が様々な文書から思い浮かんで誇りに感じた」と話した。
柳沢一宏・市教委文化財課主幹は「500年という長い期間途切れなく文書がそろっているのは珍しく、大和における当時の支配体制が分かる」と評価する。
展覧会は江戸時代を中心に約80点の文書を公開する。4月13日までで午前9時~午後5時(火曜休館)。入場無料。問い合わせは市教委文化財課(0745・82・3976)へ。
強い冬型の気圧配置となった10日、県北部を中心に雪が降り、長浜市公園町の長浜城周辺では、木々が雪化粧した。
各地の積雪(午後5時現在)は、長浜市余呉町柳ケ瀬45センチ、米原市6センチなど。
長浜城では、ピンクのつぼみが膨らみ始めた梅や松、桜の木が、白い花が咲いたようになり、観光客らがカメラに収めていた。
彦根地方気象台は、11日午前までを中心に降雪を予想している。(黒川武士)