政治そのほか速
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人を採用したら、今度はその人を育てていくことになる。
いわゆる人材育成である。
とりわけ介護や保育、教育などの人的サービス業の場合、「人」が「商品」となる。その商品の質を維持するために、人材育成は必須要件だ。
たとえば、新人とベテランの人たちとでは、経験の差はあっても、それがサービスの差になってしまってはよくない。利用者にとっては、新人もベテランも関係ない。その質は当然のごとく、つねに一定に保たれている必要がある。サービスを提供している以上、「AさんにできることがBさんにできない」は、組織のブランドを傷つけかねない。
だからこそ、新人メンバーが入った場合、できるだけ早く「最低限ここまでのレベルには」という水準に行けるように育てていかなければならない。人材育成の仕組みをしっかり整えておくのだ。
ソーシャル・ビジネスやNPOの場合、このあたりを軽くとらえてしまうところが少なくない。「いいことをしているのだから、これでいいですよね」、あるいは「安い価格でやってあげているのだから、文句を言うな」という気持ちを持つ事業者も少なくない。これでは、利用者の信頼は失われるばかりで、しだいに組織の維持が難しくなりかねない。
長期にわたって事業を展開していこうと思ったら、人材育成の仕組みを整えることは不可欠なのだ。
人材育成の方法には、大きく2つある。1つが「OJT」(on the job training)。もう1つが「研修」である。
僕は、どちらも行うことをすすめる。
OJTとは、実際に現場で手を動かし、仕事を覚えてもらう方法。これがうまくやれると、ものすごいスピードで人は育ってくれる。ただし、「うまくやれば」。現場に放り込むだけの、いわゆる「放置OJT」では、まったく育たないという結果になりがちだ。
OJTを効果的に行うには、同時に「研修」の実施が欠かせない。体で覚えてもらう一方で、知識をインプットする機会を設けるのだ。そうすることで、現場で覚えたことを体系的な知識の中に位置づけてもらえる。
研修には「座学」と「実習」の2種類ある。
座学とは、講師のレクチャーを通じて、知識や作業の一連の流れ(フロー)などを学んでもらうもの。実習では、ベテランや、ある分野に優れた技術をもつスタッフなどについて、実際にやってみないとわからないような暗黙知的な部分を身につけていってもらう(たとえば保育であれば、「子どもにどうやって話しかけるのか」等)。
この2種類の研修を、入社した際に受ける「導入研修」だけでなく、その後も継続的に受けていくことになる。
導入研修はどの組織でも、たいていは実施している。一方で、継続的な研修はいいかげんになりがち。しかし僕は、人を育てるうえで、継続的な研修は欠かせないと考えている。
そこで、とくに力を入れたいのが「ノウフー」(Know who)の共有である。「この問題は、だれに聞けば解決できるか」という情報のことをさしている。
人材育成において、やり方を教える「ノウハウ」(Know how)はたしかに大事。それは、個人のレベルアップにつながる。
しかし、1人が身につけられるものには限界がある。そんなときに役立つのが、ほかのメンバーのやり方。「この分野なら、あの人が強いよ」といった情報をメンバー間で共有できれば、1人がすべてを身につけなくても、対応できる範囲が広くなる。「ノウフー」にはそうした効果がある。
「ノウフー」(Know who)の力には、学問的な裏づけもある。
米ゼロックスのパロアルト研究所に所属する文化人類学者ジュリアン・オーアの研究がそれだ。
ゼロックスのコピーの修理工(サービスマン)たちは、コピー機のマニュアルすべてを覚えているわけではないにもかかわらず、複雑な不具合をもかなりの確率で修理することができる。「それはなぜなのか?」とオーアが調査したところ、彼らがカフェテリアで交わす会話にその「答え」があったのだ。
そこで話されていたのは、自分たちの「戦自慢」。「俺はこんなたいへんな故障を直したんだ」と、それぞれが自分の武勇伝を語る。それが結局は、「こういう故障のときは、あいつに聞け」(ノウフー)という情報の共有となり、修理できる範囲をぐんと広げたのだ。
じつはフローレンスの研修でも、この方法を活用させてもらっている。
スタッフの継続的な研修の一環として、「ケースの共有」というものを行っている。
現場の保育スタッフたちは毎週どこかの曜日で本部に集まる。その際、自分が悩んでいる問題などを持ち寄り、そのとき集まったメンバーに意見を聞くのだ。「このケースに関して、私はこう取り組みました。みんなはどう思いますか?」
こうしたやりとりのなかで、スタッフたちは自分の仕事で起こりうるさまざまな問題を知り、だれがどう対処したかも知っていく。つまり「ノウフー」の共有。
その結果、自分がいざそうした問題に遭遇しても、適切な人からアドバイスを受け、すみやかに対処していける。
最後に、研修を実施するスタッフについて。
最初は1人でスタートすることになると思うが、組織が大きくなってきたら、数人のチームにしていくといいだろう。
研修は実施したらしっぱなしではなく、「PDCA」を回していくこと。つまり、計画を立て(Plan)、実施し(Do)、受講者からのフィードバック(おもにアンケート)を受け(Check)、それに基づき改善していく(Action)。
そうやって研修のコンテンツ自体も進化させていくことが、質の高い人材を育てていくことにつながっていくのである。
「自分がいなくなっても、つながりが途切れず深まっていくのを見るとホッとする」と話すのは、「認定NPO法人育て上げネット」若年支援事業部スタッフの吉岡理香(24歳)だ。
運輸業を営む父親とパートで働く母親、2歳年上の姉の4人家族。広島県江田島で生まれ育った。江田島には公立の小学校、中学校、高校があったが、両親の意向により広島市内の学校に通った。市内へ通勤する大人に交じり船で通学することに「当たり前の日常だったので嬉(うれ)しいとも、嫌だとも思ったことはない」と話す。
中学、高校も島から通学していたが、大学受験の準備のため、高校3年生の途中から市内で一人暮らしを始める。「勉強をしていればだいたい何でもうまくいく」と思ってきた吉岡であったが、受験を目前にした年末に突然、自分が友人らを見るときの物差しが成績の良し悪(あ)しになってしまっていないだろうか、と疑問を持った。
どうしていいのかわからないほどの衝動に、とにかく「勉強と一定の距離を取らなければやばい」と考え、大学受験をしないままに高校を卒業する。元来、勉強することが好きな吉岡は、勉強したい気持ちを捨てきれずに浪人を選択する。
転機となったのは、アルバイト先に営業で来ていた男性の言葉だった。「大学という学び舎(や)は勉強するのではなく、勉強以外のことを学ぶ場所だ」。海外のビジネススクールを卒業しており、吉岡からすれば「勉強がとてもできるひと」ではあるが、勉強と学びをわけて語るのが印象的だった。
「そこ(大学)に行けば変われるかもしれない。勉強から離れた視点を持って大学へ行こう」と決め、成城大学経済学部経営学科に進学する。偏差値で選ぶと過去の自分に戻るのではという不安から、「地元の人間が知らない大学」を探した。学部や学科にこだわりはなかったが、親の意見も取り入れる形で経営学科を専攻した。
「楽しみたい」。大学生活に吉岡が求めるものはシンプルだった。部活やサークル、学校のキャリア・プログラムなどにも積極的に参加した。1年生の夏休み前、1年間休学してフルタイムでNPO活動に従事していた先輩と出会った。「社会の課題、解決方法。実際に組織を通じて変革できたこと」など嬉々(きき)として話す姿に、そのような生き方や働き方ができるなら自分もやりたいと素直に思った。
そして3月11日、東日本大震災が起こる。NPO活動にかかわり始めていた吉岡は、次々と被災地に入っていくNPOの代表の情報をTwitterやFacebookで眺めていた。「これほどまで行動できるひとたちがいることに驚き、学生という守られた身分であっても一歩踏み出せない自分自身の存在を認識させられた」という。以来、自分が社会のためにやれることは何かと考えるようになる。
いまの自分が社会に出て役に立つのか。認めてもらえるのか。本当に自分がやりたいと思っていることができるのか。大きな不安と大きな期待の狭間(はざま)で揺れる吉岡は、学生向けのものから年代を問わないさまざまなイベントに参加するようになる。そして、ある被災地関連のイベントで認定NPO法人育て上げネットの存在を知った。
表層的な部分では特に問題なく見られるが、自分自身や自分と家族、自分と勉強、自分と社会との関係性で悩みながら生きてきた吉岡は、同世代の若者とその保護者を支援する仕事に強く関心を持った。
そして、大学2年生の8月に吉岡は1通のメールを育て上げネットに送る。「大学二年生ですが、御社で働きたいんです」という文章を書くまでは早かったが、決断のワンクリックがなかなか押せなかった。「働きたいという気持ちはあったが、大学を辞める決意まであったわけではない」と振り返る。2週間ほどのインターンシップを終えた9月、吉岡は大学に中退届を提出する。「震災を機に一日の大切さを感じるようになった。何か価値を提供したいとおぼろげながら考えていた気持ちが、メール送信のボタンをクリックしたと同時に、行動していくという決意に変わった」というのが理由だ。
アルバイトを経て、2012年4月から正社員として同組織で働いている。就労支援プログラム利用者には、自分よりも年上の若者が多かった。右も左もわからなかったが、吉岡は構えることなく自然体で若者にかかわり、自然であるからこそ若者に受け入れられてきた。若者とともに汗を流し、地域で活動し、被災地での合宿訓練への引率責任者も担った。就職活動などの出口よりも、支援の入り口あたりに吉岡はいる。
「初めて私たちの場に足を運んでから“馴染(なじ)む一歩”を大切にしています。何か気になることはないだろうか。笑顔を見せてもらえるだろうかと考えながら、少しでもこの場の楽しさを感じてもらえるようにしています。つながりが生まれれば自然と次の目標に足が向いていくように感じます。だからこそ、そこに注力しています。理想は、つながりの輪から自分が抜けてもそれが継続すること。学生時代から意識してやっていることとあまり変わっていませんが」と笑いながら話す。
今夏から、若年支援事業部を少し離れ、困窮家庭の子どもたちの学習と生活支援を担当している。目の前にいるのが子どもであっても、若者であっても、吉岡は変わらぬ自然体で接している。
「心を開く前に股を開くな」。これは染矢明日香さん(29歳)が、ブログでモットーとして挙げている言葉だ。
望まない妊娠や性感染症などから若者を守るため、性の健康教育を広げる活動を行っている。
「日本の中絶件数は年間約19万件。出生数の5分の1にあたる新しい命が中絶により失われています。そのうち10%は10代なんです(※1)」と、染矢さんは語る。
中絶の主な原因は、避妊の失敗。全体の52%が「避妊をしなかったから」。続いて「コンドーム(の失敗)」26%、「膣(ちつ)外射精(外出し)の失敗)」20%(※2)。染矢さんによると、高校生で性体験があるのは約5人に1人。性経験のある高校生の10%が性感染症にかかっている(※3)。そのなかで、子どもの性に関する情報源は、ネットやアダルトビデオなど成人向けの情報が増えているという。
「日本は、ほかの諸外国と比べて、性教育を学校でも家庭でも取り上げる時間が少ない。その一方で、ネットやメディアでの情報が氾濫している。これが問題です」
NPO法人ピルコンではこの現状を改善するため、高校や保健所などを訪問しながら、中学・高校生を対象に、性の正しい知識やリスクの話、男女間のコミュニケーションのしかたなどを伝えている。そのほか、保護者向けの性教育サポート、大学生や若手社会人向けのイベント活動も行う。
授業で特徴的なのは、染矢さんや大学生などスタッフが、身近なエピソードや自分たちの実体験を語ること。男女組み合わせてのグループワークでは、性感染症の広がりを体験するゲームや避妊の知識などを共有し、これからのパートナーシップについて一緒に考える場をつくっている。2014年の1年間で性教育事業を行ったのは、都内を中心に15校、計約1500人の学生たちと交流した。
「教育現場では、教師自身が性の話をすることを恥ずかしく思ったり、保健の教科書の掲載情報に限りがあったりなど課題があります。先生たちからは『性のトラブルが身近に起こることだと子どもたちに伝えてほしい』『困ったときの対処法を教えてほしい』などのリクエストもあり、わたしたちが提供する実践的な性教育へのニーズを強く感じています」
染矢さんたちのこうした活動の成果は、ピルコンが授業の前後に行っているアンケート調査でも表れるようになった。2014年度は、1年間で生徒たちの性に関する知識の正解率(計15問)が、授業前35%から授業後75%へと上がったという結果がまとまった(289人回答)。内容は、たとえば「性感染症には自覚症状がないものもある」「月経中や安全日でも妊娠することがある」などの正誤を問うものだ(いずれも正解)。
「女子高校生の場合、妊娠すると、中絶か産むかどちらを選んでも、つらい状況になりがちです。中絶は心身への負担が大きく、出産を選んでも学校中退を余儀なくされることがあります。相手と結婚して幸せになる場合もあるけれど、その後離婚をしたり、キャリア選択の幅が限られたり、苦しい選択を強いられることが少なくありません」
「一方で、特に女性は年齢的な要因に加え、性感染症や月経トラブルの放置によって将来の不妊につながることがあります。若い人たちにはぜひ、性行為に慎重になってほしいし、正しい知識と判断力を得て、自分らしく充実した人生を歩めるようになってほしい」
染矢さん自身、大学3年生のとき、20歳で妊娠・中絶をした経験がある。
「まさか自分が当事者になるとは思いませんでした。学校の性教育は受けていたけれど、大丈夫だろうと思っていました。当時はまだ結婚する気がなく、将来の夢もあり、産めばいいというわけでもなかった。でも、正しい知識を持っていたらという想いが残っていました」
その後、大学で社会問題の授業で中絶件数を調べたところ、年間30万件にも及んでいた。「こんなに中絶が多いのに、性や避妊の知識が正しく知られていないなんておかしい」。大きな衝撃を受けた染矢さんは、翌年の2007年10月、仲間6人と学生団体「避妊啓発団体ピルコン」を立ち上げた。
フリーペーパーの製作や配布、産婦人科医を招いてのセミナー開催など、仲間たちと積極的に、真剣に性と向き合う日々は忙しく、有意義だった。しかし翌春、大学卒業後にそれぞれが就職をすると忙しさから関われなくなっていき、2008年夏頃、活動は休止した。
一度眠らせたピルコンを再開させたのは3年後。大学卒業後、転職を経て入社した雑貨・化粧品の製造卸・小売り事業の会社で、看板ブランドのリニューアルプロジェクトに携わるなか、うつ病になった。2009年には、プロジェクトへの貢献度を評価され、最優秀新人賞を受賞するなど、まわりから見れば順風満汎そのもの。予想外の病だったのかもしれない。しかし、染矢さんの中では、成熟市場で新しいものを出し続けることに価値を見いだせず、葛藤が続いていた。
「悩んだ末、ピルコンが自分にとって大きな意味のある仕事かもしれないという思いに行きついた」と染矢さんは話す。
「性教育は大きな社会的ニーズが存在するのに、成熟市場ではない」。染矢さんは全身からわき上がる思いに突き動かされるように、会社に勤めながら、週末を利用し、まずは若者を対象にした恋愛や性について考える参加型イベントを開催した。参加者からは、「きちんと性について学ぶ機会がなかった」「性について真面目に考えることは人生においてとても大切なことだと気づいた」という声も聴くことができ、思いは確信に変わっていった。その後、会社の好意から週3日勤務に移行。2012年9月、社会課題の解決に取り組む若手起業家のための「花王社会起業塾」(NPO法人ETIC.主催)に参加した。
すると、起業塾が終了して4か月たった2013年7月、知人の紹介で、中学生から大学生まで20人を対象にした性感染症予防の講座をまかされた(東京都北区・保健所主催)。幸運なことに、若い人にわかりやすく伝えたいという染矢さんの希望にかなった内容だった。これがきっかけとなり、その後も保健所や高校で授業をする機会に恵まれ、一緒に活動をする仲間も増えていった。
2013年10月、染矢さんはピルコンを法人化した。同じタイミングで、社会人になって付き合い始めた男性と結婚をした。染矢さんの活動を誰よりも理解する強力なサポーターだ。その後、2014年2月に会社を退職し、ピルコンを仕事にしていくことを決めた。
染矢さんには大切な言葉がある。20歳で出産をするか悩んでいた染矢さんに、母親がかけてくれた。「どっちの選択をしても、わたしはあなたの味方でいるから」
苦渋の選択の後、一人暮らしのマンションで孤独に耐えきれず、母親に「自分で決めたことだけどつらい」とメールをした際には、「自分の選択に対して、どれだけ前向きになれるかでその価値は変わるよ」と励ましてくれた。
「本当は怒られると思っていました。でもあの日、母親の愛情を深く感じられたから、わたしは自分自身を受け入れることができたし、いざというとき思い切った決断ができるのだと思います」
以前、学校の授業でうれしい出来事があった。過去にある体験をした女子学生が、染矢さんの「つらい経験もいつか何かの助けになる」という言葉を聞き、「やりたいことに目を向けて、将来の夢のために頑張る」と教師に話してくれたという。
「スタッフの中には、生徒との対話を通して過去の経験を乗り越え、自信をつけていった人もいます。その成長をそばで感じられることがうれしいし、やりがいを感じます。中絶は悲しい選択ではあるけれど、そこからの学びもあると思います。自分なりに体験を解釈し、その後に活(い)かすことで状況は必ず明るい方へ変わっていくはず」
ピルコンも法人化から1年4か月が経(た)った。今後の課題は、「若い世代の育成」と染矢さんは話す。
「学生たちと目線の近い若いスタッフを増やして、下の世代にどんどんピルコンの性教育を受け継ぎたい。授業を受けた子がスタッフになるとか、さらにスタッフが将来医療や教育に携わったり、親になったときにその経験を活かしてくれたりとか。各世代でいい循環が生まれたらうれしいです」
「自分は本当に恵まれていて、だからこそできることをやりたいと思っています。将来的には全国に仲間をつくり、自分らしく豊かな人間関係につながる性の学びの場を広げていきたい。その道をつくっていくのが自分の使命。新しい性教育の土台をつくりたい」
(※1)平成25年度厚生労働省統計「平成25年度衛生行政報告例の概況」参照
(※2)2007-2008年度厚労科研、876名の中絶患者への調査より
(※3)平成18年度国立保健医療科学院調査より
(NPO法人ETIC. たかなしまき)
忘年会の会費、お正月のお年玉、帰省先で買ったお菓子のおすそ分け――。年末年始には、ちょっとしたものを人に渡す機会が多くなります。
でも、「お金やお菓子をむき出しで渡すのは……」とためらうことはありませんか? そんな時には、封筒で三角すい形のポチ袋を作ってみましょう。
縦長の封筒を切った後、お金やお菓子を入れて口元を閉じるだけ。目に留まりやすい形なので、同僚のデスクの上に置いておいたのに気づかれないままだった、ということもなくなります。「ありがとう」というお礼の言葉を書き添えたり、イラストを描いたりすると、受け取った人の心も温かくなります。
この立体ポチ袋にお年玉を入れて子どもに渡すと、「何が入っているの?」と興味を引くこと間違いなし。開けてみてお年玉が出てくると、うれしさも2倍になるでしょう。(雑貨デザイナー 宇田川一美、写真とイラストも)
高齢者では、寝たきりにつながる恐れもある大腿(だいたい)骨(太ももの骨)の骨折。
岩手医大の八重樫由美助教(公衆衛生学)の調査では、2012年の患者数は25年前の3倍以上に増えて約18万人に上った。女性の骨折率は男性の約3・5倍だ。
大腿骨骨折は、毎年10月以降に増えて1月にピークを迎える。骨折予防に詳しい鳥取大の萩野浩教授は冬に増える原因について、「着ぶくれして動きづらくなるほか、風呂場の脱衣所やトイレなど寒暖の差が激しい場所で、血圧が急に変動してふらつくため。屋内での骨折が7割を占める」と説明する。
予防法としてはまず、骨を強化するために、カルシウムやその吸収を良くするビタミンDを食事で取ろう。1日に牛乳1杯。サケや生シイタケにはビタミンDが多い。日光浴も有効だ。次に運動。片足立ちやウォーキングでバランス感覚などを鍛える。室内の寒暖の差を減らすために暖房器具を効果的に使うのも大切だ。萩野教授は「1度骨折した人は、大腿骨骨折の危険性が数倍になる。骨密度を測り、骨粗しょう症の治療も検討しましょう」と話す。